ラテンのように大らかに

重箱の隅をつつくような間違い探しに精を出している人がいる。こういう人はなぜか男に多い。もう少し大きな男になってほしい。それは自身のためというより子ども教育のためでもある。間違い探しのような教育は子供をすくすく育てない。
この社会は、「消費者は王様」であり、少しでも間違いや傷があればクレームを入れるという風潮が蔓延している。しかし、もう少し懐をゆるやかにして、ラテンのように大らかに、生活を楽しみたい。
 
上記のようなことを藤原新也は書いていて、共感した。

ラウンドテーブルの感想

今回の「日本子ども社会学会」の大会ではラウンドテーブルが5つ(特設を入れると6つ)開催された。
ラウンドテーブルに参加した人たちから、そこに学会の原点を見る思いだった、という感想が寄せられている。

つまり、(報告者の)「真摯な問題関心や、研究への熱意」、「聞き手の発言から次々と新しい視点が加わり、創造的なアイデアが生まれていく」「研究に関するコミュニケーションの在り方」、「刺激的な、しかし柔らかな雰囲気の会合」といった感想である。

以下、寄せられた感想を、そのまま掲載する。

「ラウンドテーブルは、【子どもの「障害」研究をめぐる多様性】を拝聴しました。本当に小規模で、いつもの自主ゼミよりも距離が近かったので入るのに躊躇しましたが、皆さん快く迎えてくださり、大変勉強になりました(O)
「ラウンドテーブルでは望月先生のお部屋にうかがったのですが、途方もなく面白くも難しい内容で、お話の内容について行くのもおぼつかず、でも一度「もうだめ」と思ったらだめだ、と自分に言い聞かせる2時間半でした。ラウンドテーブルがゼミみたいなものだということも初めて知りました。」(T)
「ラウンドテーブル1クリティカル・スタディーズへ参加させていただき、そして皆様にお目にかからせていただき、大変光栄でした。机を並べての学会の雰囲気とは一味違い、サロンのような楽しくお話が聴け、ホットな場でもありました」
「大きなお部屋のかたすみでの小さなラウンドテーブルが非常にアットホームでとても充実した議論がその後も続いたことと思います。」(O)
「子ども社会学会のクリティカル・スタディーズ・ラウンドテーブルに参加させていただき、ありがとうございました。ご報告いただいた皆様の現代社会への真摯な問題関心や、研究への熱意に感銘を受け、大変刺激的な時間を過ごすことができました。また、聞き手の皆様の発言から次々と新しい視点が加わり、創造的なアイデアが生まれていくラウンドテーブルのやり取りを見て、こういう研究に関するコミュニケーションの在り方を自分の身の周りでも実践したいと強く思いました。今回は、若者(ぎりぎり若者でしょうか)の視点からいくつか発言するぐらいしか貢献できませんでしたが、今後は、アカデミックな点でも貢献できるよう、精進したいと思います。今後ともよろしくお願い致します。」
「先日は、とても刺激的な、しかし柔らかな雰囲気の会合に参加させていただき、ありがとうございました。クリティカル・スタディーズというタイトルに誘われ、迷い込んだそのときは、「おいおい同窓会じゃないか!(笑) 大丈夫かなぁ。違うところへ行けばよかったなぁ」と思っていました(すみません)。けれども、終了時間が迫るにつれ、閉会を残念に思う気持ちが強くなっていきました。」(H)

日本子ども社会学会21回大会を無事終えて

このたび21回日本子ども社会学会の大会を、敬愛大で開催させていただき、無事終えることが出来ました。皆様のご参加、ご協力に感謝します。
大会準備委員会は、4名の専任教員と、千葉敬愛短期大学専任教員3名(明石学長を含む)、放送大学関係者4名(住田教授、岡崎准教授他)、上智院OB4名の参加も得て、大会準備運営にあたりました。
20周年の記念大会ということで、3つのシンポジュウムを企画し、、学会外からも著名な方(藤田教授、谷川教授)をお招きました。
東北(シンポジウム1)や海外(特設ラウンドテーブル)からも人をお招きしました。
東京から外れた千葉という地、梅雨の悪天候という条件ながら、多数の方に参加いただき(全体では250名近くの参加がありました)、大会が無事終わったことを感謝しています。
一人の会員から、次のような感想もいただいています。
<それぞれの方が、気合を入れて準備してきたというのがよく伝わる学会でした。 敬愛大学の教職員や学生の方が一丸となって任務にあたる姿がよかったです。私が司会をした部会で、マイク係として走り回ってくれた女子学生が、特に印象的でした。>

雛よ、心安らかに眠れ

ひとつの小さな鳥の命を救えなかったことに、無念さと悔しさと親鳥への申し訳なさを感じる。
実家の家の庭に巣を作っていた鳥(多分ヒヨドリ)の雛が巣から落ちて、猫に狙われ、3匹はその餌食になったが、かろうじて1匹を救い出した。昨夜は家の一室で休ませた。いろいろ魚類を小さく砕いてて食べさそうとしたが食べず、ストローから水だけ飲んだ、今朝巣に戻し、ミミズを与え、親鳥たちも来て、安心と思っていたら、夕方また巣から落ちて、庭で、ピーピー鳴いていた。親鳥が木の上で大騒ぎをしている。
ひな鳥は1メートルくらいは飛べるので、後2~3日もすれば、一匹立ちができると思い、巣ごと、昨日の部屋に移した(今日も野良猫が庭でうろうろしていたし、このまま置いておくと、猫の餌食になるのは目に見えていた)。午後7時ごろミミズを探し、雛の口まで持って行ったが、食べようとしなかった。また元気があまりなかった。先ほど9時前に見に行ったら、あおむけに倒れ、息絶え絶えであった。左手で雛をそっと抱きかかえ、ストローで水を与えた。少し飲んで、間もなく、私の手の中で息が絶えた。
私の判断が間違えていたのであろうか? 巣から落ちてもそのままにしておけば、生き延びられたかもしれない。水は与えない方がよかったのかもしれない。心配して飛び回っている親鳥に、大変申し訳ない気持ちでいっぱいである。明日も探しに来るであろう。
雛を丁寧に庭に葬り、花を添えた。雛よ、私の軽率な行為を許してほしい。心より安らかに眠ることを願う。

日本子ども社会学会シンポジウム

 日本子ども社会学会21回大会のシンポジウムは、学会創立20周年記念ということもあり、シンポジウムを3つ、企画した。
 どれも、現代の子どもと社会を巡る、重要なテーマばかりである。
 その ポスターを 掲載する。

ポスター