こども学科2年ゼミ

敬愛大学こども学科の2年生のゼミでは、前半は共通のテキストを使い、後半は受講者に自由に発表をしてもらっている。
その発表テーマは、「待機児童解消について」「子どものケータイ利用」というものから、「綾取りの起源と方法」「けん玉の歴史と技法」など実演と技法指導を兼ねたものまで多様である。

今日(22日)の発表は、「千葉市動物公園」についての発表があった。そこにはどのような動物がいてどのように楽しめるかという内容で、子どもを連れて行きたくなるようなものであった。また千葉市の財政が苦しい中で、動物園の存在が財政上どのような意味を持つのかという質問も出て、いろいろ考えさせられる発表であった。
 私の2年生のゼミは男子学生14名、女子学生0という男女比で(学年全体では男女比はほぼ半々,なぜ、女子学生に嫌われたしまったのかは不明)、殺風景な(?)ゼミであるが、なかなか楽しくやっている。
 夏には男だけで,自炊の御宿合宿を計画している。どんな食事が出てくるのだろうか?

季節季節の花

 実家の市原(ちはら台)で、母の車いすを押しながら散歩する時の楽しみの一つは、季節の花々である。それは、それぞれの家の植木であったり、野の花であったりする。
 季節季節で、輝いている花が違う。つまり主役は交代する。

(車椅子を押していると、女子中学生に挨拶されたりする。それにしても、他に車椅子を押している家族を見ることがほとんどない。この地区は老人は多いはずなのに。なぜなのか不思議である。)

外国への旅

インターネットの時代になると、若者は外国への旅をしなくなるのであろうか。
実際に現地に行かなくても、インターネットで現地の情報も映像も十分に且つリアルに得られるので、それで事足りてしまうし、満足も得られる。
千葉にある敬愛大学の学生が、地元大好きで、東京へもあまり行かないし、ましてや外国に行こうともしない、しかしスマホ大好きなのを見て、そのような感を強くする。
そういう私も、昔、外国の映画を見て、外国に行った気分になり、それだけでなく外国人の主人公に同一視することにより、その心情まで理解できたつもりでいた。

藤原新也は、外国を旅する意味について次のように指摘する。
「旅とは絶対的な他者と出会うことであり、時にそれは殺意すら覚える他者であるかも知れないんだ。」 

自分を安全な場所に置いて、自分に都合のいい情報ばかり集めるインターネットサーファーは、異文化体験はしていないと言っていいであろう。

幼い男の子

男女の違いは、生得的なものではなく社会的なものというのが、社会学の定説だが、幼い男の子を見ていると、女の子との違いを感じることが多い。
好き嫌いがはっきりしていて、それを行為で明確に示す。表情が豊か。恥ずかしがり屋(照れ屋)でもある(一人の男の子の観察から、一般化するのは問題かもしれないが)。
 
2歳前の幼児でも、インターネットの動画(You Tube)を日常的に見ていて、それも英語のものが多い。これからの子どもは、どのような成長を遂げるのであろうか。

疲れの取り方

 ここしばらく、疲れているのか、ブログに文章を書く気が起こらない。
 でも、何の疲れなのかよくわからない。学会の大会の開催の疲れなのか、学期末の疲れなのか(新学期には新鮮だった学生との関係も、お互いに4か月もするとマンネリ化して、疲れが出て来る。また学期末は毎週のリアクションを整理し学生に返却し、試験問題を考えなくてはならない等)、夏の暑さの疲れなのか(台風が来たり、豪雨があったり、蒸し暑い日が続いたりしている)、親の介護の疲れなのか、歳のせいなのか、あるいは別に原因があるのか。
 とにかく、美味しいものを食べ、よく眠り、運動をして、気になっている仕事を片付け、のんびりするのが一番と思っている。