日本教育社会学会大会に参加する

日本教育社会学会の第65回大会が9月13日(土曜日)〜14日(日曜日)に、四国の松山で開かれ、参加してきた。
漱石の「坊ちゃん」の町松山は、松山城を囲むように人が住み、歴史があり、風光明媚で、人々がやさしく、いいところだと思った。
学会発表を聞く前後で、松山城を見学し、道後温泉にも入ってきた。路面電車がのんびりしていていい。
私達のグループの学会発表([大学の[学校化」と大学生の「生徒化」に関する分析―])も、メンバーの岩田氏と浜島氏の周到な準備のお蔭で、内容の充実した隙のない発表で好評であった。感謝したい。研究会メンバーの一人の谷田川さんの発表(「現代大学生のキャリアとジェンダー」)も、新しい発見が多く含まれ、高い評価を得ていた。
懇親会でも、美味しいお酒を飲み、いろいろな人と会うことができた。
学会は個人報告の10部会が同時開催というほど多くの発表があり、どれも聞きたくなるようなものばかりで、教育社会学研究の勢いを感じた。特に、今年は若手の活躍が目立ち、若い人が発表・司会したり、企画したりした部会で、若手が大学を超えて仲間を作り、中堅や年寄りがいろいろ学ぶというのも、いいものだと思った。
これから、500ページにも及ぶ「発表要旨集録」に、ゆっくり目を通し、新しい知見を得、思考を楽しみたい。

最近の東北の様子

知り合いのK先生が、最近東北を車で回られ、その様子を私的な「便り」に書かれている。その一部を、許可を得て、掲載する。

< 8月31日から3日間、福島~宮城~岩手と東北の被災地を巡る旅をしてきました。
1日目は東京を出発して一路福島を目指し、南側で立ち入れる福島第一原発に一番近い富岡町を訪ねる。2日目は、太平洋に沿って、福島県の相馬市から、宮城県の名取市、仙台市、塩竃市、石巻市を経て女川市へ。さらに、東北電力女川原発のPR館を訪ね、南三陸町まで足を伸ば(す)。3日目は、気仙沼を通って、陸前高田市へ。さらに35㎞ほど北上して、三陸町吉浜地区を訪ねました。>
<現地へ行ってみて初めてはっきりわかたのですが、避難区域=立ち入り禁止区域ではないのです。ちょっと冷静に考えたり、報道を見聞きしていれば分かることなのですが、現地へ自分の足で出かけてみることの大切さが、こんなところにもありました。福島第一原発を中心に北西方向へ広がる「帰還困難区域」は、立ち入りには許可が必要で、我々一般の者は入ることはできません。しかし、その外側の「居住制限区域」や「避難指示解除準備区域」は、日中のみは一般の人も立ち入ることができるのです。今回訪ねた富岡町は、ニュースでもよく出てくる双葉町や大熊町のすぐ南隣の町で、福島第1原発からは直線で5㎞くらいの距離でした。実は、こんなに近くまで行くことができるのです.>
< その富岡町で車を降り、町を少し歩いてみました。ひとことで言うと、まさに町はゴーストタウンです。あたり一帯、もちろん誰一人姿を見ることはできません。3年半前の状態がそのまま止まった町がそこにあるのです。町角の信号機は平常に動作しており、規則正しく赤青と変わるのですが、それを見る人も、そこを通る車もまったくありません。地震で傾いた家屋、立ち入り禁止のロープの張られた民家、家の中には捨て置かれたままの家具がいっぱい見えます。JRの富岡駅は津波の被害を受けており、これまたやはり、3年半前のままの姿がそこにありました。プラットホームの屋根から下がった広告看板はへし曲げられたままで、そこからも駅を襲った津波の高さが推測されました。
 それにしても、福島の富岡町、百聞は一見に如かずということをつくづく感じさせられました。原発事故の悲惨さが、物言わぬ町を通してひしひしと伝わってきます。放射能の被害は、目には見えないのです。町がそこにあっても、目に見えない放射能は確実にそこにあるのです。だから人々はみんな避難し、3年半を経た今でもそこに見える我が町へ、そこに建つ我が家へ、帰ることができないのです。原発事故の恐ろしさは計りしれないものであることが、強く実感されました。>
<ある意味第三者でしかない自分にとって、この被災についてどれだけ語れるかは自信がありません。しかし大事なことは、 現地を訪ねてみること、 問題をしっかり深く考えてみること、他者への思いを可能な限り馳せること、自分自身の問題に置きかえてみることなどでしょうか。>

別の知り合いOさんからも、東北の様子のお知らせを、いただいている。

先だって、福島に視察に福島大学の先生方の案内で行ってまいりました。
原発のそばは相変わらず、放射能の濃度が高く、車内にいても6mmシーベルト以上という地域がありました。もちろん、そこは帰還困難地域でした。しかし、近隣の帰還可能地域の方が生活は「荒れて」いるようです。ましては、いったんその場から避難し、再び原発周辺の地域に戻ってきた後の生活は決してこれまで通りではないとのこと。復興のために、費やされる支給費用や生活費の使い方にも問題ありそうです。原発によっていったん壊れた地域の復興は、口でいうほど生やさしいものではなさそうです。

第32回学校社会学研究会(京都)

9月6日(土曜日)と7日(日曜日)、京都府立大学を会場に、32回学校社会学研究会が開かれた。いい発表が多く、充実した2日間であった。
 発表から次のような知識を得たり、示唆を受けたりした。
① 学校で、旧ニューカマーが新ニューカマーの「通訳者」としての役割を果たし、自分に自信をつけている。
② 教職志望の学生を定時制高校の見学に連れていき、学校(高校)の多様性を実地でわからせる。
③ コンピテンシーの育成を目標とする教育課程改革は世界的潮流になっている。それは、「基礎的リテラシー」「認知的スキル」「社会的スキル」の3つを含み、単なる知識だけではなく、活用する知識やスキルである。
④ 教職員対学生という役割関係ではなく、個人対個人の対等な「対話」が今大学に求められている。
⑤  大学の授業改善に、大学外のNPO(たとえば、「おしゃべり場」)の力を借りるのが有効である。
⑥  大学は「最高学府」というよりは、「最終学府」である。つまりこれまで小中高校で学んでこなかったことを学ばせ(リメディアル教育)、社会に送り込む「責任」がある。
 京都の食事やお寺も満喫した。

全国学力テストの学校別平均点について

全国学力テストの結果(都道府県別平均点)が公表され、学校別の平均点の公表も各都道府県教育委員に任されているとのことだが、学校別の平均点のことでは気になることがある。
何かの事情で(たとえば、外国籍や不登校児、特別支援を要する児童・生徒)点数の低い子がいるかどうかで、平均点はかなり違ってくる。
大規模校ではさほど影響されないが、小規模校では、大きな影響がある(子どもの人口減で、小規模校は増えている)。

昨日訪問した小学校でも、校長先生から同様の疑問が提示されていた。
たとえば、学力検査対象の小学6年生30名の国語(A)の平均が75.9点(千葉県の平均)だとする。それに試験の数日前に日本語のまったくわからない外国籍の子どもが入ってきて試験を受け、その点(0点)を加えると、75.9×30÷31=73.5と、平均点が2.4点も下がってしまう。これが二人いると75.9×30÷32=71.2と4.7点も下がってしまう。

このようなことが教育現場では日常的起きていることであるという。
このような教育現場の実情を文部科学省や各都道府県教育員会、(知事を含む)は把握しているのであろうか。

ジブリ映画(最新作)を見る

今日(5日)は、海浜地区の小学校での半日学校参観(敬愛大学、1年生)付き添いの後、時間が空いたので、海浜幕張駅前の映画館で、話題の映画「思い出のマーニー」(ジブリ・米林宏昌監督)を見た。
https://www.youtube.com/watch?v=lO79qkKDUNY(予告編)

平日の午後2時半からということもあったが、広い映画館に観客は私を含め9名。
米林監督の前回ジブリ作品「借り暮らしのアリエッティ」は好印象だったので期待したが、少し残念な感想。
 舞台となった北海道の浜辺(湿地帯)とそこに建つ西洋風のお屋敷は綺麗で、主人公のヒロインも知的で美しく、「少女のまなざしやしぐさから上品な色気が薫る」(朝日新聞、2014年7月25日)のは確かだが、ジブリの宮崎駿のこれまでの作品とは何かが違う.
 ただ、複雑な生育環境の中で傷ついた思春期の女の子の自分のルーツ探しの旅と、そこで出会う女の子同士の友情物語なので、思春期の女の子から見て「いい映画」だという感想が多いのであれば(ジブリの映画の好きなうちの娘に尋ねてみると、「風たちぬ」はつまらなかったけれど、この映画は映像もきれいでとてもよかった」という感想であった)、映画や芸術に疎い私が何も言うことはない.
 中年の男性の監督が、微妙な女性心理を描けるのかと疑問に思えるが、数々の名作を作ってきたジブリ工房には、多くの優れた女性スタッフもいて、複雑な女性心理を捉え表現する力量があるということなのかもしれない。
 
 それにしても、映画はあまり期待しないで、暇つぶしに見る程度がいいような気もする。これまで期待して見て「よかった」と思った映画は少ない。
 若い頃のことだが、銀座の並木座という古い映画の2本立てをやっている映画館で、「8月の濡れた砂」という一時話題になった日活の映画がやっていたのでひとりで見に行ったが(映画を見るときはいつもひとりだが)、その映画はさほど面白いとは思えず、もう一本付け足しでやっていた「仁義なき戦い」(1部)が圧倒的な迫力で魅了された。その映画のタイトルも知らず、期待していなかっただけに、満足感が高かった。(その後、「仁義なき戦い」のシリーズは皆見た。話題になり、テレビでも放映されるようになったが、お茶の間にはそぐわない映画であった)