個人への関心、他者(集団)への関心

 学校の道徳教育の教える内容に4領域(自分、他者、自然、社会)がある。
放送大学の院生のKさんの研究で、「道徳教育で子どもに教えるのにどの領域が重要か?」と尋ねる質問を、教師と親(保護者)にしたところ、親(保護者)は「(子どもの)自分自身に関わること」を一番に挙げ、教師は「他者とのかかわりに関すること」を一番に挙げるという興味深い差が得られたという。
 このように、親と教師では、子どもに対する思いや対処の方法に違いがある。親はわが子のことばかり考え、自分の子どもがどう成長していくかにもっぱらの関心があり、親は教師がわが子にどのようにかかわってくれるのかに注目するのに対して、教師は一人ひとりの子どもの成長や教育に注目するにしろ、学級全体の雰囲気やクラスの人間関係のことが気になり、子ども達がクラスメイトと仲よくして、学級全体で成長していってほしいと願う。
 親はわが子(個人)を見ていて、教師はぅラス(集団)を見ている。子どもの立場も親と同じで、自分(個人)を見ていて、クラス(集団)は目的というよりは手段であろう。

 大学における教員と学生の意識の違いも同様にあるように思われる。教師は自分の授業やゼミの雰囲気の人間関係を見ていて、学生は自分のことを中心に考え、それに大学の授業やゼミ、また教師がどうかかわるかに関心がある。
 したがって、学生にとって、自分の名前も憶えない大学教師というものは、「許せない」と思うのは当然で、それに大学教師は気が付いていない(自分も含め)。

ピクニック

昨日(2日)は、娘がお弁当を作り、家族でピクニックに行った。車で東京ドイツ村に行った。東京ドイツ村は、東京と名前がついているが、房総半島のほぼ中央部にあり、車で高速道路を使い、家から40分ほどである。今は、中途半端な季節で、春の芝桜も終わり、冬のイルミネーションの準備中で、ただ、広い芝生の丘陵地があるだけだった。
それでも、ピクニック気分を味わうことができた。日頃、家族で外で外食したりすることはあっても、家でお弁当やサンドイッチを作り、広い自然の中で食べるというこは、今はほとんどしていない。
それが今回、20年ほど前、家族でアメリカのMADISON(WISCONSIN州の州都)に1年間滞在していた時に、よく行ったピクニックの気分を味わうことができた。

Shinya talk

藤原新也のcatwalkは、会員制のサイトで外には開かれていないが、時々、公開のshinya
talk にそれが公開される。それは、藤原新也が世の動向に、よほど腹を据えかねてのことが多い。
昨日のshinya talk も、公開され、それが感じられる。
  http://www.fujiwarashinya.com/talk/

9月末の御宿海岸

9月最後の日曜日(28日)、千葉外房の御宿海岸は、台風の余波で、波が高く、怖いほどであった。
それでも、ライフセービングの大会が開かれていて、20近くの大学のテントが並び、競技が行われていた。

伊勢えびも、生きたままのものが販売されたいた。あまりの大きさ・立派さに、伊勢えびを水槽で飼うことができたら、どんなに素敵だろうかと思った。そんな贅沢をできる人はいないのであろう。
海岸には、ウミガメの巣もあり、それが孵る時が見られたら、感動ものであろう。
海や砂浜は犬(ソフイー)ならずとも、楽しいことが多い。

持続可能な開発のための教育(ESD)について

 教育実習で訪問した小学校が、「ユネスコ協同学校」に登録していてESD(Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育)を実践している学校であった。

(ESDに関しては、 文部科学省がこの理論(運動)を推奨している. 概要は下記を参照。
 http://www.mext.go.jp/unesco/004/1339970.htm)

 そこでいただいた『未来をつくる教育ESDのすすめ』(多田孝志・手島利夫・石田好広、日本標準ブックレット、2008)を読むと、このESDが、教科の枠を超えた教育の実践には大変有効な理念や方法であることがわかる。
 未来指向性、知的理解から主体的行動力へ、関係性ー社会・人や自然との調和、多様性、変化への対応力、寛容性、開放性、推察・イメージ・響感力、多文化リテラシーなどが、学校教育で育むべき資質・能力や技能として、列挙されている。

 この内容からすると、かなり「多文化教育」と近いと思えるが、現場性と身体性を重視している点は、ESDの方が顕著であり、教育現場で使える理論と方法であると思う。
 
 ただ、社会の利害関係や権力関係や階層性(格差問題、貧困問題)への言及が少ないように思われる。理想を高く掲げているが、実際の社会や学校の現実をリアルに見ているのかどうかわからない。検証してみたい。