御宿の吊るし雛

今日(3月5日)が、御宿の吊るし雛の最後の日というので、久しぶりに御宿へ。いろいろな店に手作りの吊るし雛が飾ってあって綺麗。うち用に2つ購入する。
通りがかりにバイオリニスとの黒岩ユリ子の「バイオリンの家」を見学。
素敵な展示と音楽ホールを見学。ここには、御宿の多くの人が集い、コミュニティセンターのような機能も果たしているよう。http://chihoyorozu.hatenablog.com/entry/2016/10/01/100457
今日は、ちょうど入れ違いで本人には会えなかったが、本も読み、音楽も聞き、
こんな活動をして、多くの人を惹き付ける人がどのような人なのか、見てみたい。
御宿の海は、立ってオールを漕ぐサーフィンをやる人を多く見かけた。

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雛祭り

今日は3月3日の雛祭り。と言っても、雛祭りの由来も知らず、ネットで調べてみる。(http://sk-imedia.com/hinamatsuriyurai-5917.html)
<ひな祭りの由来を知るには、2つの話を説明する必要があります。まず1つ目の話は、「上巳の節句」についてです。上巳の節句とは中国から伝わった五節句の一つで、三月上旬の巳の日に、草や藁で作った人形(ひとがた)で自分の体を撫でて穢れを移し、それを川に流すことで厄払いや邪気祓いを行う風習がありました。
また一方、貴族階級の女の子の間では、紙の人形を使った遊び、今で言うところの「おままごと」が流行っていました。これを「ひいな遊び」と言うのですが、このひいな遊びと川に流す人形(ひとがた)が結びついて「流し雛」が誕生しました。さらに江戸時代になると、人形作りの技術が向上したことで川に流すのではなく家で飾るように変化していきました。これが、ひな祭りの由来と言われています。>
家では、雛人形を前に、皆で雛祭りの歌を歌い、お祝いした。

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早いもので今日から3月。

2月中は、学期末の採点や研究室のかたずけ等で、何もできないまま、終わった。
3月9日に、千葉大学アカデミック・リンク・センターの仕事(http://alc.chiba-u.jp/ALPS/sd/sd_20170309-10.html)があり、それが終わるまで、このブログも更新ができない日々が続きそう。
早く、いろいろなことが無事かたずき、春を迎えたい。

中東の問題についてのテレビ番組

敬愛大学国際学部には中東が専門の水口章教授がいる。著書も多く、中東の政治の話をよく新聞に書かれているが、今日はテレビでもお話しされるよう。中東政策は、今のトランプ政権のもとで、さらに混迷を深めている。いろいろ学んでいきたい。
<トランプ政権が発足して1カ月が経過し、各種メディアでもその評価が取り上げられています。本日20時59分からのBS11「報道ライブ」で、微力ですが私も中東政策について、渡辺恒雄氏(アメリカ政治・社会の専門家)と一緒に話をします。今後の国際社会を考える一助になれば幸いです。国際学部 水口章>

<トランプ大統領の議会演説を踏まえ、中東政策について3月2日にBSジャパンの「日経プラス10」にて話をさせていただきます。何かのご参考になれば幸いです。国際学部 水口章>

 

研究者冥利に尽きる

長年研究し、出版した著作が世に認められるというのは、研究者冥利に尽きることであろう。日本の教育社会学研究の理論派の第1人者のである山本雄二氏(関西大学教授)が、長年研究してきたテーマの本を出版し、今日の朝日新聞の書評欄に大きく取り上げられた。

女子のブルマーがテーマということで、なかなか出版してくれるところな見つからないと、山本氏は困惑していたが、青弓社というアカデミックな内容の本を多く出版しているところからの出版で、朝日の書評でも高く評価されたということは、友人の一人としてとてもうれしい。

山本氏の論文は昔から学会誌(教育社会学研究)で読んでいたが、長い間面識はなく、今から22年くらい前、UWのM.アップル先生の授業で出会い、UWでは、当時院生でアップル門下の野崎・井口夫妻らと一緒に、一緒に授業に出、様々な議論をし、毎週のようにテニスをした。山本氏の訳した『抵抗の快楽』(J.フィスク著、世界思想社)も名著・名訳で、その本からカルチュラル・スタディーズを学び、マドンナ現象の文化的意味も知った。

以下 朝日新聞朝刊(2月20日)より転載

(書評)『ブルマーの謎 〈女子の身体〉と戦後日本』 山本雄二〈著〉

青弓社 2160円)

■女子の感情無視した妙な「共犯」

筆者の世代で女子の体操着といえば体にぴったりフィットするブルマーが定番だった。だがその話は今の女子には通じない。1960年代に登場、一気に日本全国を席巻した密着型ブルマーは90年代には消えてしまったからだ。

その興亡の軌跡に迫る本書はまず「お金の事情」に注目する。中学校体育連盟は用品メーカーからの寄付が頼りだった。寄付の見返りに連盟推薦のお墨付きを得たメーカーは新開発した密着型ブルマーの学校への普及に努めた。加えて当時は東京五輪での女子体操選手の活躍により、美しく健康な女性の身体は積極的に肯定されるべきだとする価値観が成立しつつあった。それは家父長制からの女性の自立、一個の人格として女性が自信を持つことを求める戦後民主主義的な価値観とも響き合い、密着型ブルマーの受け入れを進めた。

しかし、実はそこで女生徒たちは〈挟み撃ち〉に遭っていたのだ。自立した女性は家制度のヴェールに覆われず性的まなざしに直接さらされる。密着型ブルマー姿も例外ではなく、見られる恥ずかしさを訴える生徒も少なくなかった。だが進歩派だけでなく、保守的な教育者も日本女性らしさの復権には恥を知ることが必要とする奇妙な論理で密着型ブルマーを支持、彼女らの感情を無視し続けた。

この二重の疎外状況が崩れるのは90年代で、密着型ブルマーが性的嗜好(しこう)の対象になっていたことを改めて示す大量盗難事件等が発生。その使用を強制する姿勢はようやく緩み始め、体操着の主役の座をトレパンやジャージーに引き渡す。

密着型ブルマーは「戦後民主主義派」と「戦前回帰派」がいずれも己の思想信条を優先させ、性的なリアリティーや女子の実感に寄りそってこなかった歴史の象徴であった。体操着の下に隠されていた〈民主〉と〈愛国〉のもつれた共犯の構図。それを描き出す著者の冴(さ)えた分析に多くの読者が触れて欲しいと思う。 評・武田徹(評論家・ジャーナリスト)