スポーツの効用、読書力の衰え

ここのところ体調がすぐれず、憂鬱な日々を過ごしてきた。微熱があり、咳やくしゃみが出て、血圧も不安定であった。ほとんど行かない医者に2度も行き、肺のレントゲン写真を撮り、4種類の大量の薬を飲み続けた。
体調不良が長引くのは、どこか悪いのか、風邪をこじらせたせいなのか、花粉症のせいなのか、ストレス(研究室のかたずけ等)のせいなのか、歳のせいなのか、わからないまま、1か月近くが過ぎた。
2~3日前からやっと体調がもどった気がしたので、昨日(18日)は1か月以上休んでいたテニススクールのレッスンに参加し、今日(19日)は卓球愛好会の練習に参加した。テニスも卓球も、久しぶりで息が切れミスも多かったが、それなりに満足するショットが打てて、運動後の体も軽やかで、やはりスポーツはいい、高齢者には必要だと感じた。

遅まきながら今話題の村上春樹の小説『騎士団長殺し』(新潮社、2017年2月)も読みはじめた。1日あれば小説は1冊読むことはたやすい(=今のスカスカの新書などは15分あれば読める)と思っていたが、なかなかページが進まない。文章は読みやすいし、登場人物も魅力的だし、ミステリーのように先がどのようになるのかワクワクするし、読み進まない理由は小説の方にはない。私の読書能力が落ちたことに原因がありそうで愕然とする。
痴呆老人を描写するのに、「オペラとフライパンの違いだってわからない」、豪華な中古別荘を購入し住む人を「ヤドカリ」と形容するなど、作者の言葉遣いに感心する。
また登場人物の乗っている車の種類(ジャガー、青のプリウス、赤のミニ、黒のボルボワゴン、色の不確かなカローラワゴン)も象徴的で興味深い。
主人公が肖像画を描く時、その人の表面をみるのではなく、その人の内面の核心部分を把握して描くなど、考えさせられる記述も多い。(私達の研究も同じではないかと思った)。
小説も映画と同じで、読者の関心の部分に引きずられて読むので、的確な感想を述べることはできないと思うが、早く読み切って、他の人の感想と突き合わせてみたい。

村上春樹の 小説には超自然現象がよく出てくる。そのようなものを私はほとんど信じないが、今日父母のお墓詣りに行ったら、ちょうど同時刻に妹家族がお墓参りに来た。まったく連絡をしていなかったのに、このような鉢合わせをしたのは、日頃会うことの少ない兄妹(家族)を,亡き父母が会わせたのであろうかと、村上春樹の超自然現象を少し見直した(?)。

映画「ラ・ラ・ランド」を観る

映画というものを皆どのくらいの頻度で観ているのであろうか。テレビやDVDでみる映画ではなく、映画館で観る映画である。
私の場合は、若い頃はよく映画館にひとりで映画を観に行っていたが、だんだん行かなくなって(妻と行ったのも2度しかない)、近頃では3年に一度くらいになっている。この前に見た映画は、スタジオジブリの『思い出のマニ―』(2014年)だから3年前になる。
昨日(3月15日)は、研究室も片付き一段落したと思い、久しぶりに映画館に足を運んだ。ちょうど今年のアカデミー賞にたくさんノミネートされ評判の「ラ・ラ・ランド」を近く(千葉駅の駅前)の映画館でやっていたので入る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

音楽とダンスはなかなかよかったが、映画の内容は、少しありきたりで(夢を追う若者が何度失敗してもその夢を追い続けると、その夢はかなう。その途中で傷つき、愛も諦めるという悲惨なこともあるが、夢を追いかけることはとても大切というわかりやすい主題)、映画の出来としては、アカデミー賞ものとは思えなかった。
夢と愛や生活との葛藤に関しては、以前に読んだ田村公人『都市の舞台俳優たち』(ハーベスト社、2015)の方が(こちらは社会学のエスノグラフィーだが)よく描かれていると感じた。

同じように夢を追い、その実現を諦めかけている(?)娘がその映画を観たというので、感想を聞いてみたら、「とてもいい映画だった。お父さんあの映画のよさがわからないの?」と、軽蔑されてしまった。
娘の場合は自分の体験と主人公たちの体験を重ねてみたのかもしれないし、人の感受性はそれぞれだから、いろいろな感想があってもいい。でも私の場合、歳による感受性の鈍りであれば、気を付けなければと思った。

敬愛大学の研究室にお礼

月日が経つのは早いもので、この3月で、敬愛大学国際学部こども学科に6年間、特任教授として勤めさせていただき、その任期が終わる。
特任ということで入試業務や学内の役職をほぼ免除されたが、専任と同等に研究費も研究室も支給され、ありがたかった。
研究室は、稲毛の高台の6階にあり、新しく広く眺めもよく、とても快適な日々を過ごさせていただいた。
今日(14日)その部屋ともお別れで、何とかかたずけも済んで、名残を惜しみ、お礼を述べた。

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千葉大アカデミック・リンクセンターでの講義(講演)無事終わる

昨日(9日)の千葉大学アカデミック・リンクセンターの講義が、一応無事終わりほっとしている。
リアクションに関しては配り5分間の時間を取って書いてもらい、それを隣の人と交換して議論してもらうという形で使用した。
ご一緒した山田礼子先生が、私の講義内容の「武蔵太郎君に一日」を、先生の講演の冒頭で「自分の大学時代のようだ」と取り上げて下さるといった配慮をしてくださり、カレッジインパクト調査のデータや国際比較の話をていねいになさり、和やかに話が進み、いい会になった。
ただ、後のディスカッションの時の質問や話題が、私の講義内容とは関係ないことが多く、私の話は新味がなかったこと、大学の職員の方の関心とはかなりずれていたことは、自分でも感じ、反省した(後の懇親会では、いい話でしたと言ってくれる人は何人かはいたが)。
千葉大のアカデミック・リンクセンターというのは、なかなか意欲的な試みの施設だと思った。半分図書館の中にあり、図書館とリンクし、学生の学習を支援すると同時に、教員のFDや職員のSDを行う機能を持ち、それを外に開く(学外共同施設)という側面を持っている。今回は、試行のセミナーであったが、これが本格化すると、なかなか画期的なものになると思った。

追記
書いてもらったリアクションに関しては、回収すればよかったと後になり思った。
その記述を読めば、受講者が私の話をどのくらい理解し、さらに思考を深めたがたちよくわかる内容になっていたからである。
たとえば、第1問で「武蔵太郎君の一日」のイラストとその解説(当時の学生の手による)に対する感想を求めているが、「大学レジャーランド時代の学生の生活が自堕落でだらしない」というだけでなく、このようなイラストと文章を書く力を当時の学生が持っていたことに気付き、大学とは何か、大学の教育はどうあるべきか(授業だけでないなど)に思いをはせることができているかが、判定できたからである。

学生の特質と学生支援 (1)

ひさびさの講義(講演)に緊張する

今日は,千葉大学アカデミック・リンク・センターの大学の教員・職員向けのセミナーで1時間半ほど講義をすることになっている。
大学外での講義(講演)は、昔(若い頃)は大分やった覚えはあるが、最近はほとんどないので、緊張する。
今思い返せば、若い時は恐いもの知らずで、また傲慢で、たいした準備もしないで大学の授業と同じでいいくらいの気持ちでやったようで、今思い出すと赤面する。今回は、同志社大学の有名な山田礼子先生も御一緒の講義(講演)と聞き、緊張が一層高まる。
資料はいろいろ準備したが、あまり新しいことは話せず、謙虚な姿勢で臨もうかと思ったが、今朝起きて、攻めで行くのも手だと思い、敬愛の授業と同じように、受講者の大学の教職員にリアクションを書かせ、私の話をきちんと聞かせる仕組みを作ろうかと考えている。(リアクションの案は下記)。
実際どうするかは、その場で考える。

千葉大学アカデミック・リンク・センター   2017年3月9日(木)
「学生の変化と現代学生の特徴」(武内講義) リアクション
所属        氏名
1 武蔵太郎君の一日(1970年代の学生の自画像)をみての感想
2 現代の典型的な学生の一日を描けば(武蔵太郎、上智花子さんの一日参照)
3 学生の「生徒化」についての意見
4 「勉強型」と「学問型」の違いは何か。大学及び教職員はそれにどう対処すべきか。
5 個々の大学、ないし大学類型により、学生や学生文化は、どのように分化しているのか。
6 現代の学生の特徴(現状)にかんがみ、学生支援はどうあるべきか。