黒岩ユリ子『メキシコからの手紙―インディヘナのなかで考えたこと』(岩波新書、1980年)を読む。

黒岩ユリ子は、1940年東京生まれで、1⒍歳の時、NHK音楽コンクールバイオリン部門第1位特賞を受賞し、桐朋学園音楽科在学中にプラハ音楽芸術アカデミーに留学し,チェコ演奏家芸術家賞を受賞し、メキシコを拠点に世界的に活躍してきた著名なバイオリニスとである。
その黒岩ユリ子が、今は千葉の外房の御宿に住み、「バイオリンの家」を開設したというので、氏の初期の著作『メキシコからの手紙―インディヘナのなかで考えたこと』(岩波新書、1980年)を読んでみた。

バイオリニストの書いた軽い読み物と思ったら、とんでもなく、メキシコのインディオの立場に立った文化人類学的な、しかもご主人のメキシコの原住民庁の一地方(ワステッカ)の所長としてインディオを支援する活動を支え、そのため共に暗殺や誘拐の危険にさらされ、それでも搾取されるインディオの立場に立ち、何ができるかを模索した苦闘の記録である。
インディヘナの子どもが学校で母語でないスペイン語で教育され、親元と疎遠になり、都会に出て金持ちの「女中」になるような進路しか得られない教育を広い観点から痛烈に批判している。教育とは母語も大切にし、育った地域も豊かにするようなものでなければならないということを事例から説得的に書いている。
「今日の地球上の俗に´第3世界‘と呼ばれる地域に住む人々が、先進諸国の 繁栄をささえているのは彼らなのだ、という事実も知らずに貧困生活をしているのを見ていると、自分は学者だからと言ってのんびり研究室にこもって(中略)満足しているわけにはゆかなくなってしまう」(45頁)
「学問というものが、学問のための学問ではなく、生きている人間に直接、今すぐにも何か益をもたらすものになることが、世界の現状を知っている学者に課せられた急務であるという考えに到達したからであろう」(45頁)
このように、今の多文化教育のあり方や学問のあり方に関しても、極めて的確なことを、具体的な体験の中から述べていて迫力があり、いろいろ考えさせられる名著である。(1997年に25版)

鴨川シーワルドへ行く

今日(3月30日)は天気がよく、車で房総半島を南下し、鴨川シーワルドへ。行きは外房を通り2時間、帰りは半島の真ん中を北上し1時間半の道のり。
2歳と4歳の子ども(孫)が生まれてはじめての水族館で、どんな反応をするのかを見てみたかった。シャチやイルカのショウ、そしていろいろな魚を見て、それなりに驚き、楽しんでくれたと思う。最初に、水槽を泳ぐたくさんの魚を見て、びっくりした表情をしたのが、印象的だった、

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柔軟な思考が大事(敬愛大学「教職の里程」原稿)

私は学部・大学院そして大学(武蔵大学、上智大学)に就職してからも教育学(正確には教育社会学)を学び且つ教えてきたが、それらは教育研究を目指していて、教育実践とは距離を置いていた。敬愛大学に6年前に奉職するようになり、はじめて教員養成や教育現場というものを意識するようになった。
敬愛大学こども学科に入学してくる学生は、小学校の教員になることを目指して入学してくるものがほとんどである。大学のカリキュラムも教員採用試験や教育現場向けのものが多く、学生たちは、教育現場や実践に役立つ内容が教えられる。敬愛大学の卒業生は教育現場に出て、即戦力として教える力を備えている。それは敬愛大学のメリットだと思う。
ただ、それは『教育工場の子どもたち』(鎌田 慧、岩波書店、1984年)と揶揄されるような狭いものであってはならない。
教育実践に役立つ技術や方法を学び、実質的にそれを身に付けることはとても大事なことである。しかし社会や技術が大きく変化していく現代にあっては、それだけでは足りない。大学で学んだ知識や技術はすぐ古くなり、また現在の教育現場で通用している考え方や方法は将来もそのままとは限らず、その時代にあった新しいものが求められる。それは、各自が自分の力で開発していくものである。
そのような新しいものを作り出す力(汎用的能力や技術)を、大学時代に身に付けたいものである。それは、限定された分野で通用する実践や技術ではなく、広い柔軟な視野で考え、新しい状況に対応できるものである。その際、先輩や同僚との協働も必要であり、その能力(コミニケーション能力)も養いたい。
大学の教養科目や専門科目、ゼミなど一見教職に役立ちそうもない科目こそ、実はこのような新しい柔軟な思考を養うものであることが少なくない。それが、専門学校と違う大学の特質である。
教育現場や学校の教師の置かれた環境は、狭いということも自覚すべきであろう。子ども相手に、教師は奢ってはならない。「よき教師」がよき市民とは限らない。狭い教師枠組みから脱した柔軟な思考が教師には必要である。
敬愛の学生には「明朗」「子ども好き」「人間好き」「イベント好き」「高いパホーマー」のものが多い。これに、堅実な教育に関する知識や技術、さらに幅広い教養が備われば、次の時代を担う素晴らしい教師が誕生する。皆さんの学びと成長を期待する。

選択肢の数

選択肢が無数にある中から選ぶのと、選択肢が限られている中から選ぶのではどちらがいいのであろうか。
もちろん前者の選択肢の多い方から自分の好きなものを選ぶ方が、自由度が高くいいような気がするが、必ずしもそうではない。特に自分に選球眼がない場合、選べるものが無数にあるとどれにしたらいいのか途方にくれてしまう。

家で観る映画の選択に関しては、どうだろうか。家人や娘は、ネットフリックスで、無数の選択肢の中からみたい映画を観ている。私も薦められ、部屋にあるテレビでネットフリックやアマゾンのみたい放題の番組から選ぼうとするのだが、選択肢があまりに膨大で選べない。
昨日は、かなりの時間テレビの前にいたが、観た映画は、「NHKBSプレミアム」でやっていた「がんばれベアーズ」と「マラビータ」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BF)という映画。どちらも、映画としてとてもよく出来ていて、名作と言われるものに入るものであろう。NHKBSが選んでくれたので私はこれを観れた。選球眼のない人には、導き手が必要である。

ただ、これが教育となるとどうであろう。導き手(教科書や教師)によって、子どもが狭い範囲へ見方が閉じ込められたり、洗脳されては困る。そうかと言って、無数の選択肢を子どもの前に示しても、子どもは途方にくれるだけあろう。なかなか難しい。

春近く 春の花

昨日まで冬のような寒さで、今日(27日)になってやっと春の暖かさを感じられるようになった。
それを確認しようと、稲毛海浜公園へ。
公園と花の美術館では、ポピー、チュウリップなど春の花が満載。桜ももうすぐ咲きそう。

ソフィー(犬)は久しぶりの公園にうれしそう。ソフィーは1か月前に、虫の息の時があり、1週間ほど入院し、検査、手術を受け、何とか一命を取りとめた。今日はそれからはじめての外出で、これだけ元気ならば大丈夫そう。

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