ニュースレターへの御礼

私も若い頃、「モノグラフ高校生」調査他で、大変お世話になった深谷昌志先生、和子先生は、今でも子ども研究の同人の会を開催し、そのニュースレターを発行されている。私は同人ではないか、ニュースレターをお送りいただき、毎号、教育や子ども研究について、いろいろ考えさせられ、刺激を受けている。今回第44号をお送りいただき、下記のようなお礼状を送らせていただいた。 

深谷昌志先生、和子先生

ニュースレターをいつもお送りいただきありがとうございます。今回の44号も興味深く読ませていただきました。このようなバラエティに富んだ、また内容の濃いニュースレターが長く発行されるのは、本当に驚きです。

読ませていただき、新しい知識を得るとともに、関連したいろいろなことに、思いがいきます。いくつか、その思いを書かせていただきます。

1 深谷和子先生が編集長の『児童心理』の6月号の特集は「子どもとお金」ということですが、「日本の子どもの金銭観の教育が必要だがほとんどなされていない」と、昔日銀の人に言われことを思い出しました。また日本人の金銭観も諸外国と比較してみると面白いのかもしれません(お坊さんへのお布施の額は金額を明示せず、日本独特と聞きました)。日本人同士でも金銭観はかなり違うのではないかと思います。

2 昔任天堂の人が、子どもがゲームのソフトを買う時のプロセスを研究しているという話を聞きました。日本では、新しいソフトが出ると、雑誌で広告をみて、仲間でお金持ちの子がまず買い、それをゲームの一番上手な子に貸してやってもらい、その評判(評価)聞いて、他の子どもたちが買うかどうかを決めるということでした。アメリカではそのような仲間集団の力は働かず、親の判断で決まるということでした。

3 アリエスの『<子供>の誕生』が西洋特有なもので、日本ではどうだったのかという深谷昌志先生の歴史的考察には、教えられるものが多くありました。日本独特の文化や時代的背景が働いていること知ることができました。

4 高旗正人先生の若い時の、大学の教育研究者の授業実践への指導が辛辣であったという自己省察を興味深く読ませていただきました。若き研究者は皆、自分の教育理論の正しさを過信するあまり、それに則り意見を述べてしまう傾向があるものだと納得しました。授業に「落ちこぼれた」子どもになぜ、「自主共同学習」が有効と考えたのか、ということをもう少し聞きたくなりました。高旗先生の学ばれた広島大学の教育学部でそのような研究がなさていたことと関係があるのでしょうか。(私も広島大学の末吉先生や片岡先生の研究を多く読みました)。

 その他いろいろ考えさせられることがありましたが、とりとめもなくなりますので、これでとどめます。御礼まで。同人の研究会の発展をお祈りします。

 

 

バラの季節

ツツジやサツキの季節が終わり、次はバラの季節。
うちの庭や垣根にも3種のバラが咲きはじめた。普段何の手入れもしていないので、鑑賞に堪えるとはいえないが、うちのバラなりに健気に咲いている。

隣の家のバラもきれい。時々見学させていただいている。
今年も、どこかバラ園を見に行けるとうれしい。

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第35回 学校社会学研究会のご案内

いつも夏に開催されている「学校社会学研究会」は、今年度、井口・野崎さんの世話役で、8月24日(木)・25日(金)に、学習院大学で開催予定。今、発表者を募集中。
8月24日  13:00 ~ 18:00 研究発表
18:30 ~ 20:30 懇親会
8月25日  9:00 ~ 12:00 研究発表
13:00 ~ 15:30 総会 シンポジウム
会場:学習院大学 (JR山手線目白駅下車すぐ)
会費(予定): 研究会参加費 500 円

問い合わせ先 井口博充 hiro.inokuchi@gmail.com

村上春樹と江藤淳の共通点

人の好みに共通性(点)があるのかな,と思うことがある。
私の場合、ハルキストかどうかはともかく村上春樹の小説は好きでこれまでよく読んできた(本棚に村上春樹の本があると何となくうれしい)。またそれとは別に文芸評論家の江藤淳の書くものには惹かれ、その著作をほとんど読んだ。(とりわけ『成熟と喪失―母の崩壊』河出書房新社,1967年には衝撃を受けた)。
村上春樹と江藤淳は、全く接点も共通点がないと思っていたが、次のような事実を知り驚いた。
江藤淳は、1963年つまり30歳前後の若い時、プリンストン大学で2年間過ごし、日本文学史を教えているが、その体験がもとになり、名著『アメリカと私』(1965)と『成熟と喪失』(1967)を書いている。
一方その約30年後(1991年)に村上春樹はプリンストン大学に招かれ、日本文学の講座を担当するが(1992 年)、その時のサブテキストに江藤淳の『成熟と喪失』を使っている。これは、村上春樹が江藤淳を読み、その評論に影響を受けていたことを示しているのではないか。(ただ、その滞在記『やがて哀しき外国語』講談社,1994年)には、何も書かれていない)
江藤淳の『成熟と喪失』は,上野千鶴子も絶賛する名著で、私はこれまで学生や院生にかなり読むことを薦めてきたが、ハルキストの人にも是非読むことを薦めたい。何か、共通点があるはず。
参考サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9
http://d.hatena.ne.jp/fishriver3516/20120327/1332850471

レンタルフレンドについて(その2)

このブログにコメントを書き込むことはできるのだが、ほとんど返信はないので、私も気がつかないことが多い、今回1か月ほど前にきた質問があったことに、今日(5月5日)気がついた。それで慌てて返事を書いた(その一部転載)。

いただいた質問
<武内清先生 初めまして、私は韓国のX大学日本学科4年生のYと申します。現在日本と韓国の間の歴史や政治、社会文化などを勉強しております。私が書こうと計画している卒論の主題である「レンタルフレンド」に関しての先生のご意見を伺いたく、書かせていただきます。このサービスが出始めた社会的な背景が韓国の「代行サービス」と似ているところがあると気づき、これに関しての卒業論文を書いてみたいと思うようになりました。資料を探しているとき、この先生の研究室の分でレンタルフレンドに関しての言及(武内のブログの2014年5月31日)があったことを見つかり、もしできたら先生からこのサービスについてのご意見を伺いたと思いました。先生にお聞きしたいことは以下の点です。1.なぜこのような現象(レンタルフレンドの登場と需要)がおき始めたと考えなさいますか? 2.レンタルフレンドのサービスの出現は社会の流れとして自然なものであると思っていらっしゃいますか? 3.この現象について肯定的ですか?それとも否定的ですか? 4.この流れがずっと続くと思っていらっしゃいますか? 5.もし、この現象が続くとしたら、人間関係の価値は下がっていくと思われますか? 以上の5つのことがレンタルフレンドを調査しながら気になっていたところでございます。私的には、レンタルフレンドは経済活動や社会ろ活動により友達と会う時間が減少し、そして人間関係、特に友達という概念が薄くなった為、またいじめや引きこもりなどの社会・心理的な面で起きたとも思われます。さらにもう一人ではできないことを我慢せず、友達というポジションを誰でもいいという考えが広がり、人の時間を買うという経済的な面からもと思っております。しかしながらまだこれに関しての資料が少なかったこともあり、私の考えがある程度はあっているかどうかも確認が大変難しかったのです。それで、先生のご意見を伺ってもよろしいでしょうか。>

武内の返事
<いただいたメールに、今日まで気がつかず、ご返事せず、失礼しました。いただいた日本語の文章がとても立派なので、びっくりしました。
ご質問に、あまりきちんとしたお答えを書く自信がありません。その理由はいくつかあります。第1に、友人関係というものは、個人差も大きく、社会学的な一定のパターンを描くのがなかなか、難しいということ。友人関係に関するアンケート調査は、皆失敗していると言われます。社会学の友人関係を扱ったものでは、質的な研究の方が、説得力があるように思います。第2に、私のブログの記事は、NHKテレビの番組を見た個人的感想を書いただけで、それ以上の考察をしていません。
このブログの内容を日本の大学生に読ませると、多くの学生は、「友達というものはお金で買うものではない」と否定的な反応が大部分でした。私もその通りだと思うのですが、ただ、私が言いたかったことは、次のようなことです。
1 友達というものは、日本人にとって「安全と水はただ」と同じように、無料で得られるものと思っているが、実は、とても貴重なもので、それが得られない時は高額のお金を出して得る価値のあるものなのではないかということ。
2 「レンタルフレンド」は、ひとつ間違うと「買春(売春)」に行き兼ねない危ういところもあります。しかし、この番組で紹介されていた「レンタルフレンド」は、そのようなものを求めているのではなく、精神的な安らぎや充実感を求めています。物理的なもの以上に精神的なものというのは高い価値があり、それをお金に換算すると、高額になるということを示しています。
3 友達は一般には誰でも簡単に得られるものですが、世の中には、それが簡単に得られない境遇の人がいます。番組で紹介されていたのは、「オタクの青年」や、「高齢者の一人暮らしの男性」です。そのような人の立場に立って考えることも必要と思いました。
ご質問に的確にお答えできませんが、以上のように考えています。(以下略)