テレビドラマgleeについて

知り合いで家にテレビがない(テレビを置かない)人が何人かいる。これはとても賢い選択だと思う。私の場合、育った家に白黒テレビが置かれのは中学生の時の為、日常的にテレビを見るという習慣はなく、今でもみるテレビと言えば、ニュースとNHKの朝ドラくらいである。
しかし、ここ1週間家にいることが多く、退屈でテレビをつけ、ネットフリックスで、たまたま出てきたgleeというアメリカのテレビドラマをみた.…

gleeについては何の知識もなく、予告のあらすじから、よくある不良の高校生が教師の力で一致団結し努力し音楽のコンテストで優勝し更生する映画と思いみた。ところが、1話はそんな感じで終わったが、その続きがあるというので見続けたが、何話も続き、なかなか終わらない。
それぞれスト―リーは最初「なんだかな」と思ったが、段々その先どのような展開になるのかハラハラし、歌とダンスがとても上手で、次もみたくなる。これまでに見続けた時間は10時間以上になるように思う。
ネットで調べるとgleeは、とても有名なアメリカのテレビドラマシリーズで、121話まであるという。日本で今これがどのくらいみられるのか、わからないが、これにハマると危ない。家にテレビのない人が、羨ましい?(ネットフリクスは、テレビがなくても他の機器で見られるので、厳密にはこの言い方は正しくないが)

これはアメリカの公立高校が舞台でであり、アメリカの高校生の生徒文化の実際がわかる。gleeでは、アメリカの高校の授業場面は、あまり出てこないが、部活動(チアリーダー、アメリカンフットボール、合唱部)の場面と、校長室、カウンセリング室、食堂、廊下がよく出てくる。一番出てくるのは、合唱とダンスの練習と発表会、ロッカーのある廊下の生徒たちの人間模様、人間関係である。スクール・カーストが1つのテーマのようである。属している部活のステイタスにより生徒のカーストが決まる。チアリーダーやアメフットはカーストが高く、合唱部は最低のカーストに属し、皆から馬鹿にされる(廊下を歩いていると飲み物をかけられたりする)。ただ、対外試合・イベントに勝つことにステイタスは上がるので、皆勝利を目指して必死になる。生徒の多様性もすごい。人種(白人、黒人、ユダヤ人、アジア系)、肌の色、宗教も違い、ゲイ、母子家庭、父子家庭、障がい、妊婦も普通である。歌われる歌の歌詞が、ほとんど「自分の孤独があなたの存在によって癒される、世界が変わる」というラブソングなのが、アメリカ的な感じがする。生徒同士の恋愛だけでなく、教師同士の恋愛、教師と生徒の恋愛もあり、ハラハラする。麻薬まがいのものも、教師も使用したりする。教師が嘘をついたり、人を落とし入れたりもする。5年間で121回も続いた連続テレビドラマということで、映画のように伏線が後で表に出るというような一貫性がなく(コンテストの優勝目指すという目標は一貫しているが)1話づつが一応独立しており、登場人物の気持ちもくるくる変わり、次に誰と誰がくっつくのか、ストーリーがどのような展開になるのか見当がつかない。そのようなテレビドラマの面白さがある。最近のアカデミー賞映画「ラ・ラ・ランド」より歌やダンスは上手のように思う。

<『glee/グリー』[1](原題: glee)は、20世紀フォックステレビジョンで制作されフォックス放送で放送された米国のテレビドラマシリーズ。2009年5月19日から2015年3月20日にかけて全121話が放送された。英語の “glee” とは「自分を解放し歓喜すること」また合唱部の「合唱」のことであるが、本作におけるグリー(合唱)とは、チーム一丸となり歌とダンスの芸術性を競いあうパフォーマンスを意味する。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/Glee/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC)>

GLEE is a musical comedy about a group of ambitious and talented young adults in search of strength, acceptance and, ultimately, their voice. Over six years the series has followed a dynamic group of high school students from the halls of McKinley to the mean streets of New York City, as they embarked on life after high school.(http://www.fox.com/glee)

友人関係について

子どもや青年にとって友人関係というものはとても大切なものである。親子関係や教師―生徒関係といったタテ関係からでは得られない貴重な成長の糧がヨコ関係の友人関係から得られる。友人関係に関して親や教師の介入できないところに大人のもどかしさがある。
「子ども調査でも友人関係に切り込んだ質問をすることはよくあるが、成功したためしはない」と深谷昌志先生がよくおしゃっていたことが、心に残っている。
昔企画した「東京都子ども基本調査」では友人関係を調べるのに「親友」について聞いた方がいいのか、「友人グループ」について聞いた方がいいのか、迷った覚えがある。結局、友人関係を、「親友」というというよりは「友人グループ」として捉え、親しい友人グループをもって(属して)いるか、その友人グループの人数や構成(異年齢や異性も含まれているか等)や話題について尋ねた。
自分の体験から考えると、小中の時は親友、高校の時は友人グループ、大学は親友と優先の形態は移り変わっていたように思う。男性の場合と女性の場合では違うことであろう。
今の大学生を見ていると、ひとりで行動している学生も少数ながらみかけるが、女子学生はペア(親友)、男子学生はグループで行動してのをよく見かける。男女混合のグループはあまりみかけない。いつか、その実態や心情に関して、学生に聞いてみたいと思う。
学校・大学卒業後、つまり社会人や家庭人になってからの友人関係はどうなのであろうか。それまでの親友や友人グループは学校卒業後、その付き合いは続くのであろうか。仕事関係の同僚や取引先の知り合いが友人になる場合もあり、そちらが優先になる場合もあるであろう。新しく作った家族の人間関係が主で、友人や友人関係は疎遠いなる場合もあるだろう。
歳とってから考えると、人との距離の取り方は安定してきて、それほど近くはならないものの、若い頃の親友との関係に近いものが、何人かとまた初対面の人とも築けるように思う。
このような友人関係について考えたのは、昨日(8月14日)の朝日新聞の下記の記事を読んだからである。なかなか味わいの深いことが書いてあった(一部転載)

本谷有希子の間違う日々  本当に羨ましい関係は
 友人の一人を「親友」とやけにアピールして話すような女の子を見ると、なんだかムズムズする。 あれはなんだ。誰もが心の奥底で欲してやまない、人生の財産となるものを彼女達(たち)は本能的に見せびらかしているだけではないか。 君達よ、と私は思う。確かにその絆は素晴らしい。そんな存在を夢のなかですら作れたことがない私は嫉妬するほど羨(うらや)ましい。 と同時に、君達がしつこくそのことを強調するほど、私の心の火は穏やかになっていくのである。なーんだ、言葉や写真でそうやって絶えず縛り付けなければもろく崩れてしまうシロモノなんだ、と安堵(あんど)するのである。そして今度は反対に、心配になってくる。 気づいているのだろうか。そうやってただ一人を親友と限定するたび、いま君達の目の前にいる別の人の心が、音を立てて離れていくことに。その絆をひけらかすために、他の全人類をそれ以下だと切り捨てていることに。 「愛は負けても親切は勝つ」という米作家ヴォネガットの言葉が私は好きだ。これを私なりに置き換えよう。「親友はいなくても、そこそこの知人がなんとかしてくれる」。知人万歳。そこそこの人達のなんと親切なことか! (作家・劇作家)

仙台の街角観察

水沼文平さんより、「上野千鶴子さんの回答は見事ですね」「ソフィーには頑張って欲しいですね」というメールをいただいた。また仙台での興味深い街角観察も送っていただいたので、ご了解を得て、転載させていただく。

「私の街角社会学」                        水沼文平

仙台の街中を車で走っていて目立つものがいくつかある。
一つ目は整骨院。お年寄りとは思えない人でも足が悪いのか杖を持っている人が多
い。寿命は延びたが足腰が耐用年数を越えているのであろうか。近くに住む私の従姉
は主婦専業だが腰の痛みがひどく整骨院と整形外科を往復している。最近は症状が悪
化し外歩きができなくなった。整骨院でどんな施術をするのか分からないが、私は長
いこと上がらなかった右腕がこの一年プールで泳いでほぼ完治した。自然治癒力とい
うのか、手術や薬に頼らず、人や動物が生まれながらにして持っているケガや病気を
治す力・機能に期待したいと思う。
二つ目は犬猫病院である。朝夕、犬を連れて散歩している人が多い。中には大小セッ
ト、例えばラブラドールレトリーバーとテリアの組み合わせもある。この春の早朝、
近所の犬猫病院の前を通ったらベンチにバスケットのようなものが置いてあり、それ
が動いているので覗いてみたら小さい犬が入っていた。捨て犬だと思う。疚しさを薄
めたいのかドッグフードが置いてあった。私の実家の16才の猫はどこか内臓が悪く何
度か手術、定期的に病院に通っている。食べ物も固形フードのみ、ごはんに味噌汁、
削り節をまぶした「ねこまんま」とは全く無縁である。
三つ目は美容院、最近の青少年は理髪店には行かず美容院に行くそうだ。私は「散髪
→洗髪→髭剃り→肩もみ→耳かき」というフルコースの散髪店に通っている。翌日に
は消えてしまう髭剃りなどのサービスはしないで散髪だけというアメリカ式の店には
行かない。月に一度位は顔に正装を施したいと思っている。美容院には散髪店の赤と
白のbarber poleがない代わりにしゃれたカタカナの看板が多く、内部も凝った造り
だという。そういえば「カリスマ美容師」と言われる人がいるそうだが、私が通って
いる店の親方は小中学校の後輩で、腕もいいが話題も豊富で「床屋談義」を彷彿とさ
せるものがある。
四つ目はデイケア送迎車である。朝夕、車椅子搭載可能なボックスカーや軽ワゴンが
走り回っている。お年寄りは施設に行って、歌ったり、踊ったり、健康体操をした
り、あるいはリハビリなど、けっこう楽しいようだ。朝の8時頃、アパートの前の駐
車場に軽ワゴンが走ってくる。橋を渡って腰の曲がったかなり年配の女性が杖をつい
て歩いて来る。ワゴンの女性が走り寄っておばあさんの脇をささえる。明日も明後日
もこの光景が続くことを願っている。
五つ目は高校・大学の進学塾である。偏差値の高い学校に入るために、親の言いなり
に塾に通い、知識や技能の詰め込みにあくせくしている遊び盛りの子どもたちには同
情を覚える。一昨年沖縄を訪問したが、那覇の街中で全く塾の看板を見なかった。全
国学力テストで下位の方でも沖縄の子どもたちは別の面で多くを学んでいるのではな
いだろうか。
以上、街角で見た光景から見えてくるものは、高齢化社会、ペットブーム、おしゃ
れ、健康寿命、偏差値教育である。では、私が子どもだった1950年代と比較してみよ
う。平均寿命は60台、ほとんどの男は退職してすぐ死亡、従って杖もデイケアも必要
がなかった。犬猫はタダで貰うもの、番犬と鼠猫はペットと兼業であった。パーマ屋
というものがあったが散髪屋でおばさんの姿をよく見かけた、中高校ではいい学校に
入ることを目指したが、校内の雰囲気は「文武両道」で青白い秀才は「ガリ勉」とし
て敬遠された。
現在は医学の進歩や豊富な食物で人は長生きするようになった。生活のゆとりから高
価なペットを飼い、おしゃれを楽しみ、勉強すればよりよい未来が待っているという
文句なしの「いい世の中」になっている。しかし私にはなぜか昔がなつかしい。それ
は、家族で分かち合った貧しい食事、悲しかった仔犬の間引き、朝日を拝む年寄り、
バリカン虎刈り、優先した仲間との遊びなどに対する郷愁から湧いて来るものであ
る。豊富な食べ物、AI掃除ロボット、長期平和、こんないい世の中に住んでいて、
こんな風に思うのは私の単なるノスタルジア、あるいはアマノジャクのせいかもしれ
ない。今朝もおばあちゃんが橋を渡って来た。

教養について

 読み返し、最初に読んだ時の感動を思い出したり、その時の心の安定や癒しを再現したくなる愛読書は誰にもあるのかもしれない。 仙台にいる水沼文平さんから、下記のメールをいただいた。
<村上春樹の「やがて哀しき外国語」は好きな本のひとつで私も読み返したことがあり
ます。読み返しで一番は司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ」です。読んでいると精神が安定し、トランキライザーの役割も果たしてくれます。
 来週、津軽の旅に出ます。太宰の足跡を訪ね、岩木山をいろんな角度から眺め、津軽三味線を聞き、そして十三湖と竜飛岬を見たいと思っています。>

 私の場合、水沼さんほど教養の幅や深さがなく、司馬遼太郎や太宰治まで射程が広がっていない。若い頃は、夏目漱石や古井由吉の小説や江藤淳の評論をよく繰り返し読み、精神の安定を図った。人それぞれ、そのような精神の安定剤をもっていることであろう。読む本によって、その人の教養が知れてしまう。

 同じような役割を果たす映画というものがあるのだろうか。同じ映画を繰り返し見ることはどのくらいあるのであろうか。これも人によるのであろうが、私の場合あまりない。好きな監督(たとえば、ヴィスコンティ、マイケル・チミノ、黒沢明など)の映画は時々見たいなとか、ジブリの映画は何度か繰り返しみたいなと思う程度である。
 音楽好きの人にとっては、同じ曲、同じ演奏家の演奏や歌を聴き、心の高揚や癒しをはかっている人がいることであろう。昔友人から、落ち込んだ時はグールドのピアノ演奏(確かモーツアルトの曲だと思うが)を聴くという話を聞き、私と教養が違うなと感心したことがある(彼から、グールドのレコードを1枚プレゼントされたことがある)。江藤淳や村上春樹のエッセイを読んでも、クラシックやジャズの音楽や演奏に関する関する記述が多い。私の場合、そのような音楽の教養やセンスがない。

暇になると読む本

暇になると、昔読んだ本で、読み返すと何となく心が落ち着くものに、目(?)がいってしまう。
その一つは、村上春樹のエッセイである。今日は、『やがて哀しき外国語』(講談社、1994年)を読みかえした。
村上春樹の東部の大学人の文化に関する観察、西部の大学との違い、アメリカの床屋事情、アメリカのマラソン事情、ジャズ話、ジェンダーのこと、アメリカ映画の話、アメリカ人の服装観など、村上春樹の自由な視点からの外国(アメリカ)での観察や体験は、納得できるものが多く、且つ心温まる思いがする。
これは、外国体験とは関係ないことだが、村上春樹が若い時、やっていた店(ジャス喫茶、バー)について、次のように書いているのは興味深い。

「店をやっていると、毎日沢山の客がくる。でもみんなが僕のやっている店を気にいるわけではない。というか、気に入る人はむしろ少数派である。でも不思議なもので、たとえ十人のうち一人か二人しかあなたの店が気に入らなかったとしても、その一人か二人があなたのやっていることを本当に気に入ってくれたなら、そして「もう一度この店に来よう」と思ってくれたなら、店というものはそれでけっこううまく成り立っていくものなのだ」(218頁)

 村上春樹は、ジャズの店をやるという実際に体を動かして体験したことが「かけがえのない財産」と感じ、このことを自分の小説にも当てはめて考えている(「自分の書いたものが多くの人にボロクソに言われても、十人のうち一人か二人に自分の思いがずばっと届いていればそれでいい」218頁)。

 我々、大学教師でいえば、これは、書く論文や授業(講義)ということになろう。自分の書いた論文や本がほとんど人から評価されなくても、授業の学生による評価(平均点)が低くても、少数ながら理解してくれる研究者や学生がいることが、励みになる。