日本教育社会学会69回大会参加記(その1)

以前にも書いたが、人によって学会への参加の姿勢は違う。
①日頃の研究の成果の発表の場と考える人、②自分の専門分野の情報を集めようとする人、③最先端の分野を学ぼうとする人、④質問や議論を楽しむ人、⑤司会を頼まれたので参加する人、⑥かっての師弟関係で集まるため、⑦知り合いとの再会を楽しむため、⑧旅行のついでに参加する人、などいろいろである。
日本教育社会学会69回大会が開催された一橋大学は、なかなか風格のある素敵なたたずまいの大学、教室で、このようなところで教えたり学んだりできる教員や学生は幸せだと思った。
大会は2日とも大雨の中での開催であったが、多くの人が参加し、いい発表があり、活発な議論が交わされていたように思う。
私の世代より上の参加は少なかったが、若い人が密度の濃い発表と的確な質問をして、学会の未来に期待が持てた。
私が聞いた中では、大御所の有本章先生や馬居政幸氏の発表も広い高い見識にもとづく発表で教えられるところが多くあった。
課題研究Ⅲ<「子どもの自殺」をどう考えるか>は、言説研究や構築主義の立場からの高レベルの発表が元森絵里子氏や北沢毅らかあり、学ぶところが多かった。
今回はいつも見る先輩や同期に近い人の参加が少なく、少しさびしい思いをしたが、それでも藤田英典氏、久富善之氏、住田正樹氏という同期や,先輩の牧野暢男氏とも話ができ、いろいろな知り合いと再会でき、有意義な2日間であった。
その他、学んだことは、この後、記録に残しておきたいと思う.

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教育社会学会69回大会

秋は学会の季節でもある。
今日(10月21日)から2日間の日程で、日本教育社会学会69回大会が一橋大学で開催される。
私もこの2日間は、いろいろ勉強させてもらう。多くの友人、先輩、後輩、知り合いに会うのも楽しみ。

http://www.gakkai.ne.jp/jses/conference/

高等教育の無償化について

高等教育の無償化論は、選挙の為に出てきたような印象があり、まともに考える気もおこらない。
でも、いくつか、面白い論点もありそうだ。
今日(16日)の朝日新聞(朝刊)の矢野真和氏の意見を読んで、次の見方に感心した。

① (大学進学の)「18歳主義」と「親負担主義」は他国に見られない日本のあしき習慣。
② 大卒者は高卒者より生涯所得が約7千万円高い。大卒者が増えれば所得税の税収が膨らみ、公的に投入した額を十分上回る。 
③ 雇用が安定し生活のゆとりができれば、病気のリスクも減少し、国家の福祉予算や医療費を削減できる。
④ 「貧しい人々も納めている税金で豊かな層が進学する大学の教育を支えるのは不公平」との指摘がある。一部の優等生だけが大学に進学していた古い時代の批判だ。
⑤ 大学は18歳のためだけでなく、みんなのためにある。学費を無償に近づけ、働き方を変え、誰もがいつでも学べるようにすれば人生も社会も変わるはず。

負動産について

 現在、負動産のことが盛んに言われている。辺鄙な土地や駅から遠い土地や古い家などは負(マイナス)の資産価値しかなく、売ることも相続もできず、固定資産税や維持費がかかり、負動産を持っている人が困りはてているという。
 一方で、駅に近い土地、新築の家は次々建ち、それなりに売れているように思われる。

今、人の住まいに関する趣向や価値観はどのようになっているのであろうか。
 新しい家は小綺麗で、ショートケーキのようにいろいろな種類はあるかもしれないが、同じような味わいの家で、何の面白味もないような気がする。
 西洋では何十年、いや百年を超えるような家もいまだに大切にされ人が住んでいるという話を聞く。日本でも古民家再生という話は聞くが、普通の家だと30年もすると資産価値がなくなり取り壊すことが多い。
 古民家でなくても、丹念に作られた風格のある家を見かけることがある(一般の住宅地より別荘地に多いが)。そこに住んでいる人や家族が去っても、次の人がそのよさや風格を受け継ぎ住み続けるという文化は育たないものかと思う。
 そうでないと、安っぽい画一的な家ばかりになってしまう(最近の新しい家はきれいなショートケーキハウスというよりは、窓の小さい地味な色と形の家が多い。少なくても私の住んでいる千葉稲毛地区はそうである)。
 ただ、日本の家は木でできているのでそんなに永くもたないし、他人が住んだ汚れた生活臭のある家に住みたいと思う人はいないであろうから、古い家の解体、画一的な家への建て替えはどんどん進むであろう。それもできない家は空き家になり、負動産となり、朽ち果て、地域のお荷物となっていく。
 これからの日本の家やその周囲の景観はあまり期待できないように思う。

大学祭の季節

秋はお祭りの季節でもある。大学祭も各地で開かれている。大学祭は、大学の日頃の学問や文化的な活動を地域社会に開くという意図があると思うが、今は模擬店ばかりで、大学祭の意義はどこへ行ってしまったのかと思わないでもない。
しかし、飲食を通してのさまざまな人との交流がはかられるのであれば、それもいいのかもしれない。
雨の中、敬愛大学でもこの2日間(14日、15日)、大学祭が開かれていたが、その準備や当日の活動で学生同士の交友も深まり、地域の人(とりわけ子どもたち)も集まり、楽しめれば、開催の意義はあると思う。

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