天童睦子監訳『教育の危機』(東洋館,2017)合評会 について

宮城学院女子大学の天童睦子さんより、天童さんが本の編集執筆に参画し翻訳をされた素敵な本を送っていただき、その合評会のお知らせをいただいた。
なかには、私もUWでお世話になったアップル先生やポプケビッツ先生の論文も集録されており、国際的な教育理論の翻訳である。
研究仲間も誘っていいとのことなので、ここに掲載させていただく。

日英教育研究会 12月研究茶話会
日時: 12月16日(土)14時30分から17時30分
会場:早稲田大学国際会議場 共同研究室7
演題:『教育の危機―現代の教育問題をグローバルに問い直す』合評会
報告者 天童睦子(宮城学院女子大学 教育社会学)
「教育の危機とグローバルな課題-本書の執筆・監訳を通して」
石黒万里子(東京成徳大学 教育社会学) 
日暮トモ子(目白大学 教育思想史 比較教育学) 
内容
2017年に翻訳書『教育の危機―現代の教育問題をグローバルに問い直す』P.カロギアナキスほか編、天童睦子監訳を上梓しました。そのなかからとくにM. W. Apple「教育の危機、批判的研究と実践の課題」、R. Cowen「大学とTINA」、Sun, J.「人間と共生の教育」を取り上げ、翻訳者がそれぞれの問題意識に引き付けて現代の教育の危機を語ります。

教育社会学会参加記(その4)-学力と社会的格差の研究

馬居政幸氏(静岡大学名誉教授)・西本裕輝氏(琉球大学)の発表(「沖縄における離島と本島間の学力格差―学力調査が及ぼした影響に焦点をあてて」は、教育社会学の主流の「学力と階層格差」論への批判を含んでおり、興味深いものであった。

馬居氏は、次のようにも鋭く指摘している。
「学校の授業過程で生じている事象への実証調査は、教科教育の世界との格闘がなければ、実態とのせめぎ合いにならない」「教育(社会)学的視点から論ずる学力観”と”教科教育が前提とする学力観”は似て非なるもので、二つの集合は重ならない部分が大きい」「教育社会学だけでなく、教育研究者のなかに、学校現場での指導案作りや発問、板書、見取り、声掛け、机間巡視などの基本ワードの機能を実証的に検証する研究どころか、その必要性の自覚すらなかったのでは(ないか)」「欧米の研究調査報告での内容を日本に適用することはあっても、その妥当性を日本の学校教育の現場に即して検証する試みがどれだけ重ねられたでしょうか。」「貧困ファクターでは、地域間格差を説明することはできません」 (いただいたメールより転載)
 
馬居氏の当日配布レジメに加筆修正したものは公開可ということなので、下記に添付する。
学校の中で起こっていることをブラックボックスにするのではなく、カリキュラムや教師の教科指導の仕方まで、実証的に検証しようとする馬居氏らの研究は、学力と社会的格差研究に大きな一石を投じるものになるであろう。

③171022馬居発表後加筆PPT×2pdf

教育社会学会参加記(その3)

私たちの「大学生文化研究会」からは、浜島幸司氏(同志社大学)が、『「部・サークル活動」からみる大学生文化の特質』と題して、大学生の4時点の学生調査のデータを、詳細に分析し報告した。
大学改革で授業重視が提唱されても、多くの学生たちは「部・サークル活動」に参加し、学生生活のなかでそれらの活動比重も低下することはない(60%前後)。部・サークルの活動状態で交友面、大学満足など変わる。「部・サークル活動」への関わりは、インフォーマルながらも、キャンパスライフを充実へと導く機能がある、という趣旨である。

今の大学改革が、学生の意識や文化とずれていることなどが明らかにし、学生の実態に即した改革への提案をしている。(当日配布レジメは下記)

2017[印刷配付版]教育社会学会報告スライド(浜島・武内)

教育社会学会参加記(その2)ー社会関係資本を獲得する場としての学校

古賀正義氏(中央大学)の発表『偏位する「社会的孤立」-内閣府若者WEB調査の分析から』を興味深く聞かせてもらった。
「ある場で関係から資源を獲得したいとする者は、担い手の供給する財(例えば、情報や技能など)を道具的に直接獲得するだけでなく、表出的な関係の維持によって、承認をえたり感情を交わしたりをしてそれを支えもする。この二重の過程こそ、資本の形成・獲得に多くの影響を与える。」
『ネットワークの場(例えば、サークル活動)への若者の参加が単純に社会関係資本の供給を促すというのではない。その場での同じ問題を抱えたもの同士の「同類的な関係」と指導者や相談者・ボランティアといった「異質な関係」との、相補的な関係性があって、社会関係資本をえることが可能になる.それゆえ、実際にはこの両者のバランスから、当事者に、場やその関係の選択が生じてくることになる』
「若者には、とりわけ家族(配偶者を含む)・学校を介した友人、地域の友だちの3種類の他者との接触が多くなっている」(配布発表レジメより転載)

古賀氏の発表は、社会関係資本やネットワーク論を使っての現代の若者の生活充実度や社会的孤立を防ぐ手立ての考察であり、いろいろ示唆される点が多い。

私が一番興味をもったのは、現代の若者が持続的な関係をもつものが「家族」に次いで、「学校を介しての友人」ということである。
学校という知識や技能の伝達・教育を主たる目的としている場で、友人関係は副次的な産物と考えられる場で、副次的なものが大きな意味(社会関係資本)をもつこと。学校は教師という仲間とは異質な存在があるからこそ、仲間だけからでは得られないもの(社会関係資本)が獲得できるということのメカニズムである。
これは学校の機能とも、また学校の潜在的カリキュラムということもできるが、学校が社会関係資本を獲得する場として機能しているという、重要な指摘だと思った。

『「同類的な関係」と「異質な関係」との、相補的な関係性があって、社会関係資本をえることが可能になる』ということからは、抽象的にいうと「横糸だけではなく縦糸があることにより何でも強くなる」ということかと思った。
たとえば、友人関係(横糸)も学校や教師(縦糸)があることにより強固になるので、街で友人を探しても見つからないということかと思った。学校や大学へ友人を探しに行くのは意味があることかもしれない。

台風と落ち葉

台風の怖さは場所によって違うかもしれない。
「近年にない最大級の台風の到来」というニュースが流れ、それ以上の被害になるところもあれば、雨風もたいしたことないところもある。後者の場合は幸いであったと喜べばいいのだが、近頃の災害予告のニュースは大げさなのではないかと、ニュースへの不信感も芽生える。
今週のはじめの台風も、関東は多少の雨と風だけでたいしたことはなくほっとした。家の周りの落ち葉を集め、その風情を楽しむ。

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