晩秋の紅葉を見に行く

今年は夏の暑さが9月下旬まで続き、季節感に迷いが生じた。紅葉は、11月でも大丈夫かなと思っていたら、いつの間にか11月中旬になってしまつた。とにかく北の方に行けば、紅葉がまだ見ることができるかもしれないと、先週の土曜日(11月11日)に、関越道に乗り北を目指した。関越の『月夜野』で降りて、「猿ヶ京」の温泉に入り、翌日、越後湯沢に行ったが、もう紅葉は終わっていた。石打にある中野屋のへぎ蕎麦(最後の写真)は美味しかった。苗場のゴンドラも動いていず、苗場のボードウォークでも葉の落ちた白樺を見ただけで終わった(2、4番目の写真)。次の日、朝起きたらびっくり。一面銀世界だった(3番目)。「三国峠」を降り(下の方は少し紅葉は残っていた)、群馬の沼田を経由して、「吹割の滝」(下記写真)などを見ながら、奥日光(5番目)、中禅寺湖を経由して、「いろは坂」降りた(途中下の方は紅葉が少し残っていた)。鬼怒川温泉と川治温泉を経由して、その奥にある「湯西川温泉」を目指した。途中は、紅葉の盛りの季節はさぞ綺麗なところだったろうと思われる山が迫り(その時は色あせた紅葉)、圧巻の景色であった。「湯西川温泉」はいくつものトンネルをくぐった先の奥地にあった。そこは、昔平家がここまで落ちのびたという「平家の里」があった。宿泊したのホテルは、昔はかなり宿泊費が高額だったと思わせるホテルで、ロビーも部屋も温泉も満足できるものであった。今回の旅行は紅葉の盛りは見られてなかったものの、(老人期の)枯れた感じの紅葉は見ることができたし、期待していなかった初雪も見ることができ、いい温泉も3か所で入り、それなりに満足できるものであった。

KODAK Digital Still Camera

渡邊雅子教授『「論理的思考」の文化的基盤』への礼状

名古屋大学の渡邊雅子先生より、ご著書『「論理的思考」の文化的基盤』(岩波書店、2023)をお送りいただき、下記のような礼状を出した。

<この度、ご高著『「論理的思考」の文化的基盤』(岩波書店、2023)をお送りいただきありがとうございました。2021年に岩波書店から出版されたご著作(『「論理的思考」の社会学的構築』に続き、短期間で素晴らしい学術書を出版され、先生の学問的生産性に驚きを禁じえません。/日本とアメリカ、あるいは日本とフランスの文化や教育比較の本は、いくつかありますが、日米仏にイランを加えた4か国比較というものははじめてかと思います。/さらに、単なる文化比較というのではなく、社会学的な考察、しかも「論理的思考」に焦点づけて、主題が鮮やかに分析、記述、説明され、読者に感銘を与えます。/これからじっくり読ませていただきますが、4つの国の「論理的思考」を詳しく学び、自分の思考や文章も再考したいと思います。/4つの象限に分け考察するのは、とてもわかりやすく、全体を俯瞰するのに、つまり自分の視点を他の観点からみるのにとても有効な方法だと思います。昔読んだ作田啓一の「価値の4類型」(『価値の社会学』岩波書店)や見田宗介の価値論を思い出します。/私にとって衝撃なのは、日本の「論理的思考」の箇所(200ページ前後)に書かれている「共同体への回帰」のようなことを、私自身無意識にやっているのではないかということです。具体的には、私が依頼されたコラムを書く時や、大学の授業での学生のコメントの例をいくつか抜き出し皆に提示するのは、日本の学校の国語教育で行われているような「共通の感覚」と「共通の感想」へ読者を導いていこうとしているのではないかということです。もっと、米仏そしてイランのような方法も考える必要があるのではないかという自己反省です。/ご著書を読ませていただき、いろいろなことを考えたいと思っています。簡略ながら、御礼まで。>

風の便り61号

毎月1日には、辻秀幸氏より「風の便り」が送られてくる。今回⁽61号)は、人からあまり好かれていない蜘蛛の話。その説明と写真が掲載されている。蜘蛛の写真を撮ったことはないが、かなり難しいのではないか。蜘蛛といえば、小学生の頃、家の庭に「女郎蜘蛛」(兵隊蜘蛛と言っていたように思うが)を「飼って」いて、時々生きた昆虫など餌をあげていたように思う(今考えるとかなり残酷なことをしていたものだ)。

武蔵大学のゼミの同期会に出席

私が最初に勤務した大学は、練馬区の江古田にある武蔵大学である。卒業した大学で助手を4年間勤めた後、専任教員として武蔵大学人文学部社会学科に10年間勤務した。武蔵大学は、旧制の私立の高等学校から大学になった学習院、成城、成蹊と1つの大学グループ(私立大学懇話会。後に解散)を作り、私立の旧制高校の伝統を引き継ぎ、学問の伝統を大事にし、教授会で何でも議論して丁寧な大学運営がなされていた。

「ゼミの武蔵」といわれ、1年次から4年次まで必修のゼミがあり、学生たちは講義には欠席してもゼミだけには出てきた。大学に出てくるのは、出席を取る語学と体育とゼミと部活(サークル)だけという学生も少なくなかった。講義に出てくる学生は2~3割程度だったと思う。

私が最初の頃担当したゼミ生で今年還暦を迎える人が多く、久しぶりに同期会を開くので、出席してほしいという依頼があった。齢取った私の姿を若い頃しか知らないゼミ生に晒すのは気が引けるなと思ったが、「皆歳を取っていますから」というゼミ生の言葉に促され出席を約束した。(11月3日 有楽町駅近くのレストラン)

当日短い時間のスピーチで、この間何十年のことを話すのも難しいと考え、話したい内容を活字にした。それをプリントして当日配り、当日は、それをもとに短く話すつもり。プリント(冊子)の内容は下記(これに当時の写真も添付した)

大学のサークルの同期会に出席する

小中高や大学時代の同窓会に関しては、過去のブログでも何回か書いている(2018.9.12,2022.10.7)。先日(10月4日)、大学時代のサークルの同期会が何年かぶりに東京で開催された。私たちは大学を卒業してから半世紀以上(55年)経過している。この会の同期会はこれまで数回開催されているように思うが、新型コロナの影響もあって最近は開催されていない。私が前回参加したのは15年ほど前のように思う。「出席」と返事を出したものの、年取った自分の姿を皆に晒すのは気が引ける、若い頃のイメージしかない同期の年老いた姿を見たくない、などと出席に尻込みする自分がいた。

男だけのサークルで同期は32名ほどだったが、逝去者は5名いて、出席は22名と多く(出席率82%)、サークルの活動が週2回と合宿が年3回、その他のイベントもたくさんあり、それらで学部4年間苦楽を共にした仲間と久しぶりに会い話すのは楽しかった。

現役を退いている人が多くいて、仕事の話はあまりなかったが、皆それぞれに分野で活動して苦労して、今は悠々自適な生活を送っている様子が、スピーチや顔つきから伺えた。「健康を保つための体操の勧め」や「我々は、日本に戦争が全くなかったよき時代に生活してきた」というスピーチが印象的であった。