授業の記録(敬愛大学「教育課程論」12月8日)

授業の記録を残しておく。テーマは「多文化教育(その2)」。
前回の松尾知明氏の多文化教育論を復習し、佐藤邦政氏のunlearning論と異文化接触や多文化教育との関連を考えてもらい、バンクス=ビリングスの転換アプローチを説明し、日米の多文化教育的な原爆教育の実践のNHKビデオを観てもらい、多文化教育への理解を深めてもらった。
配布した資料は、前回のリアクションやレポート例も含めるとA3にして7枚になり、量が多すぎて読み切れたかどうかわからない(その点、少し反省. 昔、上智大学で「多文化教育論」の授業を担当した時の内容より盛りだくさんになっている。それは敬愛の授業で授業の内容の質を落とすのは、敬愛の学生に失礼に当たるという思いからだ。その結果は良い方に出るのかどうかはわからない。添付のリアクションからその一部がわかる)
授業の最初に、スマホを見ている学生に2度も注意して、2度目はかなりきつい口調になり、教室の空気が一瞬固まり(?)、どうなるかと思ったが、いつもよりかなり静かな授業となった(スマホを諦め、寝てしまう学生も1~2名いたが)。

教育課程論(12月8日)リアクション  多文化教育について(その2) 
1 前回(12月1日)のリアクションに関する感想
2 テキスト10章の要約(例)を読んでの感想
3  unlearning とは 何か。 異文化理解や多文化教育とどのような関連があるのか
4  転換アプローチ(バンクス、ビリングス)とは、何か。
5  広島・長崎への原爆投下に対する見方を、日本(人)の立場と、アメリカ(人)の立場から書きなさい(転換アプローチの応用問題-NHKビデオを観ての感想)

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“unlearning”について

先の紹介した“unlearning”は有名なことばらしく、いろいろなところで使われている。目についてものを2つ挙げておく。

<unlearningとは、それまでの限られた経験から体得してきたことをいったん解体して、一から組み立て直すことと言えよう。この営みに欠かせないのは、自分と異なる背景や違った価値観を持つ人々、すなわち異質な他者の存在である。大学入学後に高校までとは比べものにならないほど多種多様な人々と出会い、「目から鱗」体験を重ねた人は、少なくないであろう>(日比谷潤子「unlearningめざして―大学の国際化の意義」『IDE現代の高等教育』596号、2017年12月、p9)

<「“unlearning”のすすめ」は、学びの否定ではありません。「すでに学んだこと、とくに悪いことなどを、あえて忘れる」。ここで重要なのは、“unlearn”の前に“learn”がなければならない、という点です。「すでに学んだこと」なしに、「あえて忘れる」などできませんから。つまり「“unlearning”のすすめ」には、大学入学までじっくりと学んできてください、という願いがまずは込められています。
本橋哲也は、“unlearning”の意味を次のように記しています——「学ぶことによって自らの特権を解体し、他者に対する偏見を解きほぐす」。 つまり自分の依って立つところを見つめ直して「他者」との共生を探るような「学び」を、“unlearning”として提唱しています。“unlearning”とは、「違い」とともに生きるための倫理です。(木下 誠http://www.seijo.ac.jp/education/falit/seijo-olumn/05/index.html)

都会のイルミネーション

昨日(5日)、新宿のホテルで開かれた会で、地方の人口減少のことが話題になっていたが、それと対照的に新宿の街には人があふれていた。
また、年末の都会(新宿)のイルミネーションも綺麗。人も少なく店も明かりもない地方から、若い人が明るい都会に魅かれ、移動するのも必然かと感じた。

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放送大学東京文京学習センター・自主ゼミ(SEガーデン)

以前に放送大学東京文京学習センターの客員教授をしていた時、毎月2回ほど自主ゼミを開講していた。その自主ゼミは、私が辞めて後も、学生の皆さんが「SEガーデン」というサークルのような形で毎月1回(第2木曜日の15時30分~18時)に、文京学習センターの演習室で開催している(参加自由)。
私もメンバーの一人だが、東京を遠く感じるようになってから、参加は少なくなっている。

今度新しい試みとして読書会のような形式で開くという。読書会の第1回(12月14日)は私の愛読書の1つである江藤淳の『アメリアと私』(講談社、昭和44年)を取り上げるというので、久しぶりに参加する予定。
この本に関して、このブログでも2回(2015年8月11日、2016年2月3日)、言及している。
放送大学のメンバーには、下記のメールを送った。

久しぶりに、12月14日の自主ゼミに参加させていただきます。この頃私は1週間のうちで、働くのは3時間だけ(授業で2コマ)という暇な生活を送っているのですが、たまに頼まれた原稿がなかなか書けなかったり、千葉から出るのが億劫だったりして、なかなか自主ゼミまで足が向きません。
たまに東京に行くと、東京の人は千葉と皆服装が違うなとか、テンションが違うなと感じてしまい、おのぼりさんの心境で、ドキドキします。
今回、私の愛読書の1つを取り上げていただけるということで、御礼申し上げます。ただ、『アメリカと私』は、半世紀前の私の20代の時に読んで感銘を受けた本で、最近読みかえしてみましたら、やはり時代を感じてしまいましたので、皆さんに大丈夫かという心配があります。
それに、江藤淳は少し「くせ」のある人(?)で、好き嫌いが分かれるかもしれません。その人柄をよく知る人(慶応時代の同級生)から、なかなか「付き合いの難しい人」と聞いたこともあります。
思想的には、少し右(保守)寄りりの人かもしれませんが、左の吉本隆明とは気が合い(対談をしている)、大江健三郎とは、最初は同世代で仲よく、後に喧嘩しています。子どもはいなくて、奥さんと仲が良く、奥さんが亡くなって少し経ってから、後を追うように自殺したのが、衝撃的でした。
私は、武蔵大学に勤めていた時、学生向きの講演を頼んだことがあり、一度だけお会いしたことがありますが、気さくな感じの人でした。名刺には、表に江藤淳とだけあり、肩書も何もありませんでした。名刺に名前だけのものをもらったのは、後にも先にもこの時だけで、感激しました。では、自主ゼミの読書会を楽しみにしています。

追記 読書会に向けて最近もう一度読みかえしている。もう50年も前に書かれ、書いた江藤淳もこの世にいないのに、読むとその場(アメリカのプリンストン)にいるような臨場感を味わうことができる。文学の力はすごい。江藤淳の奥さんに対する態度(ジェンダー観)は今からみると古いと感じるが、アメリカの夫婦は孤独ながら、厳しいアメリカの競争社会の中で、夫婦が力を合わせてこそ生き抜くことができる(一人で生きるのはかなり難しい)と書かれているのが印象的あった。(12月9日)

追記2 当日、丁寧なレジメが配布され、内容に即した様々な議論がなされた。
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授業の記録 (12月1日、多文化教育について)

本日(12月1日)の敬愛大学での授業(教育課程論)のリアクション項目と配布資料を掲載しておく。
テキスト(『教育の基礎と展開』の10章を読んでレポートを提出するように課題(宿題)を出しておいた。

教育課程論(12月1日)リアクション  多文化教育について(その1) 
1 井上茂先生(英語の教職について)のお話についての感想
2 前回(ジェンダーと教育)に関する討論の感想
3 テキスト 第10章(多文化共生と教育)で、提言されていること
4  多文化教育のエッセンスは何か(松尾、佐藤参照)
5  なぜ、異民族排斥、ヘイトスピーチが起こるのか(配布プリント参照)
6  なぜ 国際理解が困難なのか、それを克服する方法は(「教育の国際性ってなぜ必要なの」参照)
 次週への課題  佐藤郡衛 「多国籍化する学校」(配布プリント)を読んでくること

英語に関しては、教員採用試験で小学校の免許だけでなく中学校の英語の免許を持っていると採用に有利になる(千葉の小学校の教諭の採用枠に中高の英語の免許を持っているものには別枠の採用がある為)という貴重な情報が提供された。それと同時に教育学の立場からすると、「なぜ英語を学ぶのか」「英語は汎用的な言語(世界共通語)といえるのか。そこに文化的偏りはないのか」なども考える必要があると説明した。
多文化教育や異文化間教育的視点は、単一文化的視点(メルティングポット)や比較文化的視点(旅行アプローチ)とは違い、マイノリティ(弱者)の立場に立ち考えることであること。またマジョリティーも異文化(マイノリティー)とまじわることにより自分達も豊かになるという意識をもつ視点であると説明した。
経済がグローバル化する中で、国を超えた物的人的交流が起こるのは必然であり、他者(当たり前を共有しない人)との関係を築き、「不快さに耐える」ことが必要という論(藤井)を読んでもらい、多文化教育を、理想だけでなく、現実のものとして考える時、どのような問題が出てくるかを説明した。

配布資料
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リアクション&中間レポート
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