スポーツと年齢、仕事と年齢

スポーツの世界で活躍や活躍する人に我々一般人が惹かれるのは、スポーツが人生の縮図であるからであろう。
野球の試合を観て飽きないのは、9回までの試合が人生の縮図であり、また投手のバッター一人ひとりに対する配給やカウントにもドラマや,人生の優勢劣勢の縮図をみることができるからである。
また、最盛期を過ぎた選手が頑張っている姿は、特に同世代のものにとって、自分の姿を重ね共感を呼び応援したくなるのであろう(例えば長島茂雄の活躍に対する同世代の熱狂的応援)

ただ、勝ち負けのかかったスポーツの世界は厳しく、最盛期を過ぎた選手が出てもいいのか、疑問視されることが多い。
今の話題では、ワールドカップの日本のゴールキーパー川島 永嗣選手に関して、その間の試合のミスが指摘され、その顔つきが、往年の時の「いかつい顔の鬼のような生命力が落ちている」とも指摘されている。
勝負のかかったスポーツの世界はこのような厳しさは必要かもしれないが、一般の人の仕事や生活の部分はどうであろうか。

仕事の世界のプロ意識はスポーツと同じで、往年の緻密さや厳密さを欠くようであれば、即引退すべきかもしれない。
あるいは、アバウトが多少許され、高齢者の「まったりした(?)」で仕事ぶりが、勝負や緻密さとは別の効果をもたらされるのであれば、もう少し仕事を続けることが許容されてもいいのかもしれない。

高等教育の社会学

教育社会学では、昔はあまり高等教育の研究はなされていなかったが、21年前に教育社会学の研究者を中心に「日本高等教育学会」が出来て、それ以来高等教育の研究が盛んになっている。
最近の高等教育学会の紀要や発表題目をみると、マクロな制度的な研究が多く、私のようにマクロとミクロの接点にあることに興味があるものには少し興ざめだが、高等教育のマクロな制度に関する研究に関しては、教育社会学の研究者の発言が、一番説得力をもっているように思う。

今朝(6月27日)の朝日新聞の朝刊にも、現在教育社会学会会長の吉田文さん(早稲田大学教授)の「中教審部会が中間まとめ」へのコメントが掲載されており(下記に転載)、納得させられる。
<『2040年の大学、変わる姿 中教審部会が中間まとめ、焦点は 識者に聞く』
2018年6月27日、朝日新聞 朝刊より一部転載)

 ■乏しい新味、予算措置の提言必要 吉田文さん(早稲田大学教授〈教育社会学〉
 ――中間まとめの全体的な印象を教えてください。
 大きな社会の変化を踏まえ、長いスパンで高等教育のあり方を考える議論になると期待しましたが、何を構想しているか、わかりにくい印象です。
 私たちは大学教育のあり方がこれから大きく変わる、と危機感を持っています。例えば、学生を教室に集めて一斉授業を行うままでいいのでしょうか。教員は、専門的な知識の提供だけで済むのでしょうか。
 しかし、中間まとめは新しい内容にあまり触れず、「従来の施策を徹底すべきだ」という提言ばかりです。各大学に強みや特色を生かすよう求めていますが、高等教育システムの全体をどういう方向に持っていくのか、明確に示されていません。
 ――大学同士の連携・統合を促すため三つの案が示されました。
 三つの案も、これまでにも行われてきたことの延長上の内容です。新たな提案として「地域連携プラットフォーム」がありますが、地方自治体や地元産業界の力が強くない地域の大学ほど支援を必要としているので、どこまで効果があるのか疑問です。
 ――大学の機能分化の案も盛り込んでいます。
 機能分化(種別化)は大学の反発が強く、文部科学省では長い間タブーでした。小泉政権下の05年に中教審は「七つの機能」を示しましたが、国が押し付けるのではなく、大学が自ら選ぶという位置づけでした。一方、現在は私大の4割が定員割れし、産業界からも「大学が多すぎる」と指摘されています。今後、機能分化という形で、文科省から私大への介入が強くなっていくと思います。
 ――首相官邸が主導する有識者会議の提言も反映されています。
 官邸主導の会議では、教育をよく理解していない人が極端な提言をすることがよくあります。ですが、文科省や大学も世間が納得する論理で反論できていません。そんななか、中教審は官邸から来た政策を具体化させる機関になっているように見えます。
 ――大学にリカレント教育(学び直し)の体制を整えるよう求めています。
 方向性は賛成します。ただ、大学教育のあり方と同時に、学び直した人の社会での処遇についても再考が必要です。これからどんな社会が来るかわからないうえ、労働力も減っていくのですから。
 ――ほかに気になる点はありますか。
 改革には予算が必要ですが、「資金を充実させるべきだ」という表現がほとんど見られません。「公的支援が必要」と書く一方、「選択と集中」が強調され、印象が薄くなっています。答申では「これだけのお金がないと、改革はできない」と書いてほしいです。 (よしだ・あや 日本教育社会学会長)

授業の記録(6月15日、22日)

ここ2回の授業(敬愛大学「教育原論」 6月15日、22日)の記録を簡単に残しておきたい。

6月15日 科学の方法、教育の官僚制と教職の専門職性
   
リアクション
1 前回のリアクションを読んでの感想
2 因果法則を充たすための3原則とは何か。
3 組織の官僚制の特質をあげなさい。(プリント 「組織としての学校」、テキスト95-96頁参照)
4 学校が、官僚的特質を備えていない点をあげなさい。 その点をどう評価しますか(もっと官僚制化すべき、緩やかにすべき)
5 チームとしての学校の特質について説明しなさい。これからの学校が『チームとしての学校』となると教師の仕事はどのようになりますか。それについてどう思いますか。
5 他の人にリアクションを読んでもらいコメントをもらう。
(         さん)→
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講義メモ
先週の科学の方法(仮説の検証、理論)の話を補足したのは今日お配りした高根正昭『創造の方法学』の中に書かれている、「因果法則を充たすための3つの条件」です。これは先週の私の話のエッセンスですのでプリントを読んで理解を深めてください。
次に、学校について、官僚制ということを理解してほしいと思います。教育の規模が大きくなると、どこも同じようにすること=組織化、制度化が必要で、それが官僚制というものです。その特徴が、配布プリントの真ん中に書かれています。画一化、標準化、特化(専門分化)です。 企業や官庁がこの官僚制化ということがすすんでいますが、教育の世界学校という世界でも同じように進んでいます。ただ、教育の論理というのは、この官僚制に馴染まない部分があります。それがその後にあります。教職の専門職性というものも官僚制と違う論理です。皆さんが、教職の専門科目を学ぶのもこの専門職性の為、官僚制に流されない為です。
今、文部科学省が考えている「チームとしての学校」が、という考え方を説明します。これは、多忙な教師の仕事を軽減しようという趣旨と説明されていますが、教育の官僚制を進める方法でもあります。その内容を理解し、それに対してどう思うか、話し合っていただきたいと思います。

6月22日 教育に関する法制度と教育行政

リアクション
1 前回のリアクションを読んでの感想
2 日本の小学校数は  校、児童数は  名  教員数は  名
3 巨大な教育システムを運営するために、何は必要か。
4 教育の法律主義とは何か。
5 日本国憲法26条を記載しなさい。
6 2,006年に改正された教育基本法の特質(大きな変更点)は、何か。
7 日本の「6・3・3・4」制の学校制度をどう思うか。その理由
   1 このままでよい  2 わからない  3 変えた方がよい
8 「いじめ防止対策推進法」(2013年)について、どう思うか。
9 他の人からコメントもらう

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夏の研究会、公開シンポジウム

もうすぐ夏休み。夏には、さまざまな公開の研究会やシンポジウムが開催される。いくつか、記載しておこう。

〇 敬愛大学生涯学習シンポジウムー21世紀の生涯学習~「人生100年時代」の新たな学びのかたちー
日時 7月16日(月・祝)14時~16時 会場 敬愛大学3号館 3301
登壇者 熊谷俊人、牧野篤、岩永雅也、佐々木偉彰、明石要一
www.u-keiai.ac.jp/

〇第2回英語教師授業力 ブラッシュアップセミナーー小・中・高の英語教育改革に向けて今からできること - 学習指導要領の改訂を踏まえて」
日時 平成30年8月20日(月)・22日(水) 10:30~16:15
場所 敬愛大学 稲毛キャンパス3号館 
講師 向後秀明他
www.u-keiai.ac.jp/events/brushup2018/index.html

〇 SEガーデン夏合宿
   日時 8月21日(火)〜22日(水)
   場所  放送大学千葉学習センター セミナー室

〇 第36回 学校社会学研究会  
    日時 8月24日(金)〜25日(土)、場所 学習院大学
   (後日、プログラムは、ここにも記載予定)

ワールドカップの(テレビ)観戦について

日頃サッカーに興味がないものも、4年に1度のワールドカップの時は、マスコミに煽られ(?)、サッカーの試合をテレビで観戦する人が多いことであろう。私もその一人である。
当然日本のチームの勝敗が気になり、日本を応援してサッカーの試合を見るわけであるが、ほとんどの日本の試合は敗けて後味のよくない気持ちで観戦を終わることが多い。わざわざ2時間近くの時間テレビを観て、後味が悪くなるなんて割が合わないと思う。

よく考えてみると、別に私は愛国の気持ちが強いわけではないし、日本を応援する義理があるわけではない。ワールドカップはゲームなんだし、どこか応援する国を決めて(できれば強い国がいい)、その国を応援した方が、気分的にすっきりするかもしれない。最近は、日本以外の国のチームの試合をほとんどテレビで放送している。
といっても、どこの国のチーを応援すればいいのかかさっぱりわからない。誰かにお薦めの国を聞いてみよう(今日は、日本の試合を見ることにして)

<追記>と書きながらも、今日は日本とコロンビアの試合を、2時間ほどテレビにくぎ付けになり観て、日本のチームワークのよさに感心し、日本の2対1の勝利に喜び、気持ちよく眠りにつけそうと感じている(要するに自分勝手にサッカーの試合を観ているということである)。 <追記2>
藤原新也は<昨今日本においてはとくに若者を中心に「気持ちよくなりたい症候群」が蔓延しており,(コロンビアに勝ってしまい)若者の政治離れに拍車がかかるだろう>と、日本人の最近の心情を批判している。私のような年寄りもそうだとすると危ない。気をつけたい。
<追記3>
授業で「教育基本法」の改正(改悪?)の話をして、「伝統と文化を尊重し、我が国と郷里を愛する」といういわゆる「愛国心」に関する内容が、新しい「教育基本法」には付け加わったことを説明した。
そこで学生に、「サッカーで日本を応援するのは愛国心からでしょ?」と聞いたところ、学生はほとんど怪訝な顔をし、サッカーの応援と愛国心とは関係がないとの答えであった。この2つを結びつけて考えるのは、サッカーを知らない者のたわごとなのかとも思った。さらに学生に詳しく聞いてみたい。