渋滞の中 紅葉を見に行く(続き)

苗場は、標高1000メートルのところにあり、もう山の方の紅葉はほぼ終わっている。
田代のゴンドラの運行は今日(11月4日)まで、苗場のゴラゴンドラの運行も11日までということで、高い料金(往復で2600円)を払っての乗車はやめた方がいいとも思ったが、ここまで来たのだからと思って、思い切って乗ることにした。
確かに紅葉の盛りは終わっていたが、旬を過ぎた紅葉の味わいのあることを、知ることになり、ゴンドラに乗ってよかったと思った。ゴンドラは苗場から田代まで25分間の長い運行で、いい景色を十分楽しませてくれたし、田代で降りたところからさらに山を徒歩で上り、周りの景色もいろいろ楽しむことができた。ゴンドラからや降りてから歩いて見るあたり一面の紅葉の後は、味わいのある光景であった。

午後は、越後湯沢の方に車で降りて行ったが、そこでびっくりしたのは、越後湯沢の街を囲む山々の紅葉の綺麗さである。ここに住み人々は、このような紅葉を毎年見ながら生活しているのだという驚きである。ここの人たちは、どこかに紅葉を見に行く必要は全くない。
逆に「紅葉を見に行く」というのは、周囲に自然を失った人がわざわざすることで、普通に自然豊かな地方に住む人からすると笑止ものなのかもしれないと思った。
少し先の六日町まで行くと、八海山の山頂が雪をかぶり、そこに紅葉が映えてなかなかいい景観になっていた。八海山はなかなか迫力のある山である。
(帰りは、渋滞を避けて、苗場を午後8時過ぎに出たら、渋滞は全くなく、車はスイスイと道路を進み、行きは7時間かかったところ3時間10分で稲毛の自宅に着いた)

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渋滞の中、紅葉を見に行く

お正月やお盆や大型連休の高速道路の渋滞のニュースを見るにつけ、このような渋滞の中、出かける人の気が知れないと思う時があるが(実際は、その時でないと帰省できないとか休暇が取れないとは事情があるのであろう)、自分がそれを経験するとは思わなかった。
この連休(11月3日、4日)は、秋の連休とは言え、通常の土日の休みと変わらないし、
たいした混み方ではないだろうと、家人と紅葉を見に、3日の午前8時前に車で稲毛の自宅を出た。
最近、高速の外環が、市川から三郷に繋がり、千葉から都心の混雑を避け、高速の関越や東北道に乗ることができるようになり、千葉県から北に行くのが大変便利になり、時間が短縮した。
それを使って関越の入り口までは1時間余で行ったが、関越は大変な渋滞で、そこから群馬の藤岡まで行くのに4時間かかった(通常は1時間半で行ける距離)。途中のパーキングも大変な混みようで、パーキングに入るのに2キロ手前から車が並ぶという状態であった。
その為、谷川岳あるいは軽井沢の紅葉を見に行こうという当初の考えを諦め、人の少ない苗場をめざした。関越の月夜野で高速を降りて、三国峠を登った。三国峠はカーブが50もある難所だが、車も少なく、紅葉がちょうど見頃で、来たかいがあったと思った。

苗場には午後3時に着いた(家を出てから7時間が経過)が、その日はゴンドラに乗ることは諦め、ボードウォークを散策した。そこで出会った人は2組だけであったが、その紅葉の趣に感嘆した。紅葉の旬は過ぎているが、少し枯れ始めている紅葉の趣は味わいがあっていいものだと思った。
 「春に新芽を出し、暑い夏を生き抜き、秋に紅葉して、落葉する」といった葉の1年のサイクルに、人の一生を重ねてみて、勝手な感傷にふけっていると言われそうな気もするが、旬を過ぎた紅葉もなかなかいいものだと思った。

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偶然? 因縁?

遭遇する確率はごくまれなはずなのに、それが起こることが時々あり、びっくりする。
数年前、京都駅で、もう20年以上も会ったことのない親戚の子(甥)にばったり会い、その奇遇にびっくりし、立ち話ながら近況を報告しあった。
3日ほど前(11月2日)、寝る前にたまたまNHKテレビを見ていたら、知り合いが映っていて、びっくりした。それは「ドキュメント72時間密着!東京駅・銀の鈴定番待ち合わせ場所」という番組で、昔福武書店の「モノグラフ高校生」調査という研究チームで一緒に高校生調査をやった友人の明石要一氏と穂坂明徳氏で、大学院時代の友人との待ち合わせで「東京駅・銀の鈴」に来ていた時に、取材されたものである。めったにこの番組をみることはないのに、偶然見て、偶然そこに友人たちが映っているというのは驚きである。
その他、電車で、偶然知り合いにばったり会うことがある。
そのよう遭遇の確率は、ごく低いのに、遭遇が起こるというのは、何か因縁の力が働いているのであろうか。
非科学的なことは信じないたちなので、因縁の力があるとは思わないのだが、何か目に見えない力が働いていると思うことはある。

今日から11月

ハロウイーンも終わり、今日から11月。
秋や冬の花が咲いている一方、夏の朝顔も健在。
どのような11月になるのか。楽しみ。
祝日もほとんどなく(敬愛では23日も授業がある)、授業に専念することになるのか、
合間を縫ってどこかに紅葉を見に行くことができるのか、
スポーツ(テニスと卓球)に打ち込むのか(テニスの誘いもいろいろある)、
読書の秋にできるのか。
歳を取ってくると、健康や体力、気力との勝負。

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弱者とのかかわり(その2)-水沼文平さんからのコメント

「弱者とのかかわり―何もできない後ろめたさ」を拝見しました。認知症のおばあさん、虐待を受けた(?)仔猫、10年前のキャバリヤ犬のことに強い共感を覚えました。
世の中には障害者(身体・知的・精神)、高齢者、子どもなど社会的に弱い立場の人がいます。このような人が困っている時に何かして上げたり、何もできなかったりします。大事なことは、困っている人に何かしてあげたいという「思いやりの気持ち」と何もしてあげられなかったという「後悔の念」を持つこと、その懐いた気持ちを忘れずにいることだと思います。

友人達とグループネットで情報を交換しています。A君からのメールです。「〇駅か
らバスに乗車し、降車までの途中に精神障害児が通う施設があり、時々その生徒が乗
車して来ます。大声で奇声をあげて話し出したり、突然歌を歌ったりする事に遭遇し
ます。車内の雰囲気を観察していると、穏やかな雰囲気で児童を見守る人もいれば、
煩そうに冷たい目線で傲慢な態度を取る老人もいて様々な光景に出会します。先日
は、なんと運転手が大声で児童に注意したので、私はその運転手に公衆の面前で注意
しました。」

B君からのメールです。「知的障害者の親として一言。A君、運転手への注意有難う
ございます。知的障害者の特性としてさまざまな行為があり、その特性を一般の人々
に理解してもらうのが難しい状況にあり、障害者の親の団体として「知的障害者への
理解」を毎年の活動目標としています。多くの人に理解してもらえたら、親も安心し
てあの世にいけると思っています。A君にこのような行動をとっていただき感謝して
います。」

このようなことに関連するものとして、今週新聞で見た三つのことに触れたいと思い
ます。一つ目は、戦時中の韓国人の徴用を巡り、韓国の最高裁判所が30日、日本企業
に賠償を命じたこと、二つ目は東京電力が事故を起こした福島第一原子力発電所の写
真に、工場の鑑賞を楽しむという意味の「♯工場萌え」というハッシュタグを付けて
インスタグラムなどに投稿したこと、三つ目はまたもや東京電力ですが、東電強制起
訴公判で勝俣元会長が「津波危険性に関する報告はなかった」と証言したことです。

韓国に対する戦後賠償は終わっていますが、植民地化され言葉と名前を奪われ、もろ
もろに酷い目にあった韓国人の「恨み」という感情は消えていません。今回の判決に
対して日本政府は反発していますが、お金で全てが解決すると思ったら大間違いで、
日本が戦前・戦中に近隣諸国で行った蛮行を率直に反省し、被害者の身になって真剣
に考え、そのことを相手に伝える努力が必要です。大戦後ドイツの近隣諸国に対する
物心両面での謝罪に学ぶべきことが多いと思います。東京電力に関しては「♯工場萌
え」と、大きな津波を何度も経験している日本では考えられない勝俣元会長の証言は
「厚顔・無神経」という意味では同一レベルのものです。

先日自転車で田舎道を走っていたら車に挽かれた猫の死骸が横たわっていました。何
台も車が通りますが皆な大回りで避けていきます。私は尻尾をつかんで近くにあった
ゴミ集積所に置いてきました。世の中のために何もできませんが、これまで生かして
もらった恩返しに、これぐらいのことはやっていきたいと思っています。
(ペットの火葬場まで持っていくという気持ちまでは持てませんでした。「情けは人のためならず」修行不足ですね。反省しています。)(水沼文平)