学会誌に書評を書く

新聞や雑誌、学会誌などで本の書評を読んで、いい書評だなと感心することがよくある。感心する書評と感じる条件として2つある。一つは、是非その本を読んでみたいという気になること(既読の場合は評者の観点から読み直そうと思うこと)。もう一つは、評者の書き手に対する敬意が感じられること。

私は今回日本教育社会学会から学会誌に掲載する書評を頼まれ、自分の専門に近い著作の本の書評を書いた。私もいい書評の条件は満たして書きたいと思ったが、舌足らずで、うまく書けなかった。自分の専門に近いとつい辛口になってしまう。著者からは少し「むっとした」(?)リプライが返って来た(pp.199-200)。

 尾嶋史章・荒牧草平 『高校生たちのゆくえ―学校パネル調査からみた進路と生活』(世界思想社、20183

<書評「教育社会学研究」105集、2019年11月30日、pp173-175>質的な社会調査は少数の具体的な事例の報告から始まり、そこから普遍的な傾向を見いだそうとするもので、興味深く読むことができる。それに比べ、量的調査は、調査データの、数字の羅列やその説明が主で、読んでいて退屈なものが多い。そのような中で、本書は興味を持って読める数少ない量的調査の報告である。その理由を考えてみると、データの社会的背景の的確な記述、データの単なる記述ではなく説明(原因-結果関係)、データの解説にとどまらない政策的・実践的課題の提起などをあげることができるであろう。

本書は、高校3年生を対象にした量的調査の報告書である。3時点(198119972011)での変化を追っている。主に二つの内容が中心になっている。一つは高校生の将来展望(キャリア)。もう一つは学校生活を中心とした高校生の意識構造である。生徒の出身階層や生徒の通う学校ランク(学校間格差)との関連の分析が丁寧になされている。共同研究者11名(執筆者)の討議が十分になされことが内容からうかがわれる。各章とも最後に要約と今後の課題、提言が書かれていて読みやすい。各章の概要は編者によって序章に的確になされているので、ここでの紹介を省略したい。調査したデータの統計的な検証に基づく興味深い知見が、各章に数多く記述されている。そのいくつかをあげておこう。

1「高校タイプや出身階層と卒業後の進路選択の関連構造は、30年間ほとんど変化していない」「学校生活に関する意識が学校タイプや出身階層によって分化する傾向は弱まっている」「学校での活動に『まじめ』に取り組む生徒が増加している」、「学校では『まじめ』にやりつつ、多少の不満は学校外で昇華し、教師に反抗することもない」(1章) 2「就職希望者の割合が一貫して減少してきたが、就職希望者の成績は男子では上昇している」(2章) 3「高卒就職―販売・技術職」「大学―事務・管理職・未定」「大学―専門・技術職」「短大・専門―準サービス職」という関係を「潜在クラス分析」で見出した(3章) 4「大学進学希望に対する父不在の負の効果は、男子の場合は学校タイプを統制すると消失するが、女子ではその効果は残る」(4章) 5「高卒者の就職口が縮小するなか、とくに普通科の進路多様校では進学を選択せざるを得ない状況に直面している」「奨学金情報の周知や応募において、高校の果たす役割が間違いなく大きくなる」(5章) 6「どのような進路を希望しようとも安定した経済的基盤を求めるのは変わらない」「生徒は、興味や関心に基づき仕事を選ぶことにあまり現実味を感じていない」「就職希望者の自己実現志向が弱い」「自己実現志向は高い威信の大学を希望する高校生で強い」(6章)。 7「学校タイプにかかわらず、一般受験を予定していることが学校外教育の利用傾向を高めている」(7章) 8「学校タイプや進路希望をコントロールしても、まじめな生徒ほど学習時間が長く、学習以外の生活時間は短い(8章) 9「『ゆとり教育』のもとでの学校教育は、高い学校生活満足度の形成をもたらした」(9章) このように、高校生の将来展望や意識を明らかにするのに、社会的(時代的)背景、親の社会的階層、学校ランクの規定関係を的確におさえ、さまざまな意識間の関係をクロス集計、多変量分析を駆使して分析し、教育政策や実践を提言する本書の内容は、教育社会学の研究の王道をいくものであり、続く研究の模範となるものであろう。

 若干気になる点をあげておこう。1 現在全国で高校は4907校あるが、今回調査対象になった高校は地域的にも限定された17校であり、今回の調査結果を一般化できるのか。また最新(3回目)の調査が行われたのが2011年である。社会や教育界の激しい変化の中でここでの考察が、現在も通用するのか。2「学校パネル調査」という興味深い名称を使っているが、調査対象が必ずしも同じ学校ではなく、「学校タイプ」を分類する基準も回により少し変わる中で、「学校タイプ」別の変化を追うことに多少の無理を感じる。3 分析は高校生に対する意識調査の結果のみから行われており、各高校の客観的なデータ(学校の伝統、教育経営の特色、生徒文化の特質、進路実績、教育改革等)や教員の意識との関連は、データから考察されていない。その間に乖離はないのか。実際の高校教育はこれらの要因の相互関係・相互作用で進行している。4 生徒に対する調査票は16頁に渡り、31問・120項目に関して答えるように作成されている。このような膨大な質問をしないと、求めるデータが蒐集できないのか。5 さらにその調査項目は、生徒の進路意識を中心に、研究者の問題関心から作成されたものである。それは今の高校生の関心や志向の枠組みに則っているのか。たとえば、今の高校生は将来の進路より、友人関係、恋愛、ネット利用、引きこもりなどに関心があるのではないか。また現代の高校の地域社会との関係、教育改革(カリキュラム改革等)が生徒にどのような影響を及ぼすのかは現代では重要な問題ではないのか。

多少の疑問はありながら、本書は長年の調査の実績を積み重ねた上での緻密な統計分析と、共同討議から書かれたものである。後世に残る高校調査の報告になるであろう。一読をお勧めする。

宮古島に行く

2019年の授業も仕事も終わり、3泊4日で宮古島に行く。沖縄本島には2度ほど行ったことはあるが、宮古島は初めて。平坦な島でサトウキビ畑がたくさん。ホテルの目の前もブルーの綺麗な海だが、海岸のどこに行っても、また車やフェリーで渡った周辺の島の海岸もサンゴ礁とサンゴ礁からできた白い砂と宮古島ブルーの水がきれいで、私のこれまでの人生でこれだけきれいな海を見たのははじめて。

敬愛大学「教育課程論」第13回の予定

日時  20191220日(金) 1630分から18

場所  3号館4階  3401教室

テーマ  教員採用試験と大学生活

内容: 今年度教員採用試験に合格した4年生(5人)の体験を聞く。教員採用試験に向けて勉強、実際の採用試験のことだけでなく、大学生活、授業、サークル、将来のこと、後輩へのメッセージなどを自由に話してもらい、最後に質疑、懇談を行う予定。受講の1年生(43名)がどのように反応するのかが楽しみ。年末の忙しい時期に、時間を割いてくれる4年生に感謝する。

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実際も上のリアクションにあるように、予定通り実施され、1年生は4年生の話に聞き入り、将来への励みになったようだ。写真は授業後の懇談の様子。私の齢でこのような若い(孫)世代の学生と一緒に過ごせるのを感謝せねばならないと思う。

放送大学の面接授業 講義メモ

放送大学の面接授業は、放送大学が創設された時から毎年担当しているので、もう30年以上経過したことになる。今回で最後になるが、東京文京学習センターで「子ども、青年、学校、大学再考」というテーマで、12月7日(土)と14日(土)の2日間で8コマ(1コマは90分)の授業を担当した。今回の講義ノートを、一部記録に残す。

今回は12月7日(土)と14日(土)の2日間に、8コマ(12時間)の授業を行います。テキストは使わず、資料(A3,50ページ)をお配りしています。今回の受講生は27名で、年齢も20代から70代までいろいろな方がいます。今アクティブラーニングということが言われ、「主体的で対話的、深い学び」の重要性が言われています。この授業でも私の一方的な講義だけではなく、グループ討議も取り入れ、皆さんと一緒に教育のことを考え議論していきたいと思います。

私自身はこれまで3つの大学に専任として勤めてきましたが、放送大学とのかかわりも長く、放送大学の創設の頃から面接授業の講師を30年以上しています。放送教材の方も、学校や青少年というテーマで、テレビとラジオの番組を共同で作ってきました。放送大学の学生や院生の卒論や修士論文の指導も教員としてお手伝いしましたし、東京文京学習センターでは5年ほど客員教授を務めました。

専攻は、教育社会学です。教育社会学は教育学の中でも少しマイナーな分野で、教職科目にはなく、一般の大学では、肩身の狭い思いをしています。放送大学では、創設の時から教育社会学専門の教員が何人もいました。お名前をあげると(敬称略)深谷昌志、麻生誠、新井郁男、岡崎友典、住田正樹、小林雅之、岩永雅也、田中統治などの諸先生です。教育社会学の人が作った放送教材も多く、皆さんも受講した方がいらっしゃるかと思います。

教育社会学のことを、少しだけ、説明しておきます。教育社会学は、単純に言うと、研究対象が教育現象で、研究方法(=見方が)社会学ということです。教育には幼児から大人まで、学校教育から大学教育、企業内教育、生涯学習まであります。社会学というのは、皆さんあまり馴染みがない見方かもしれませんが、常識にかなり近い見方です。既存の見方を一度疑ってみるとか、自分の利害を離れて客観的に見るとか、データ(エビデンス)を重んじるとか、批判的に見るとかという特質があります。心理学に興味があるという方が多いと思いますが、皆さんの思っている心理学は、社会学的な見方に近いかもしれません。社会学も人の心理には大変興味を持って研究しています。ただ心理学と違うのは、人の心理の中身は、対人的なことや社会的なことがかなり影響しているので、人間と集団や社会との関係を考えようと社会学はします。心理学は、それより人の認知や感情といった人の内部のメカニズムに関心があるように思います。人の心が外部の刺激で傷つけられた場合を考えてみますと、友達や恋人から傷を与えられた場合と国家権力から傷を与えられた場合では違うと思います。心理学では心の痛みとしてそれらを等価と扱うと思いますが、社会学ではその違いに注目します。教育学との違いもあります。教育学は理想を重んじます。教育社会学も理想は大事だと思いますが、理想を考える前に、教育の現実をなるべく客観的に見ようとします。理想に向かって親や教師が一生懸命やるということが教育効果を生むことは確かですが、理想ばかり追い現実を見ないと、空回りして効果はないことも少なからずあります。このようなことを、具体的な例で見ていただき、皆さんにも考えていただきたいと思います。

最初に、教育について、2つの考えのあることを説明します。教育とは子どもの生まれながらの能力や可能性を引き出すというのが1つの考えで、もう1つは人類の文化遺産を注入するという考え方です。この2つの考えは、教育を考えるときの大きな対立点であり、いつもこの2つの考え方を行ったり来たりしています。これに関連して、そつたくの機とか ズアオアトリの例をお話します。

次に親子関係や家庭教育のことを取り上げます。これには父親原理と母親原理の対立があります。心理学者の河合隼雄、文学者の江藤淳の論を紹介しておきます。子ども発達や児童虐待のことは、心理学の方で多く扱われているので、ここでは詳しく扱いませんが、配布の資料(「こころの育ちと家族」)を見てください。子どもの発達との関連で母親や父親の役割を考察しています。『おおきな木』(シエル・シルウァスタイン・村上春樹訳、あすなろ書房)という絵本を皆さんご存知ですか。ここからも母子関係を考えてみたいと思います。

学校の特質については、資料「子どもの学校生活」(武内清『子ども・青年の文化と教育』)を見てください。家庭と学校の違い、学校の集団や組織の特質、学校官僚制、潜在的カリキュラム、チーム学校、ホームスクーリング、学校の日米比較ということからも、学校の特質を考えてください。

現在の日本の教育の仕組みを少し説明します。憲法、教育基本法、学習指導要領という法律に規定された教育が行われています。学習指導要領はだいたい10年ごとに改訂され、それに基づいた教科書が作成されます。今回の新しい学習指導要領の主な内容は、配布資料を見てください。アクティブラーニング、つまり「主体的・対話的で深い学び」が大切と言っています。また新しい教科として、小学校に英語、小中学校に特別の教科「道徳」というものができました。皆さん、道徳教育に関してどのように思いますか。少し道徳について、お話します。戦前の修身や教育勅語の復活という側面もあると思います。道徳項目として挙がっていることは4領域あり、どれも他の国でも通用しそうな普遍的なものですが、国や郷里を愛するという愛国心の項目に関しては、賛否があると思います。

今、教育界では大学入試のことがかなり問題になっていて、10月下旬に文部科学大臣が「身の丈」発言というのをして、それだけではありませんが、英語の入試の民間委託が再考されることになりました。教育と社会階層や社会的な格差との関係は、大きな問題です。そのことを少し説明します。(内容略)

大学のこと、今の学生のことをお話したいと思います。まず大学の歴史から考え、大学はどのようなところなのかということを、潮木守一先生が『キャンパスの生態誌』(中公新書、1986)という本でわかりやすく書いていますので、それを見てください。「自動車学校型」、「知的コミューン」、「予言共同態」という3つがあります。最初のものは専門学校のようなもので、2番目は学問の追求、3番目は思想や生き方の学びのような場です。今の日本の大学はこの3つが薄められた形があるように思います(武内「現代学生考」『内外教育』2019.10.8.参照)。アメリカの大学はどうかという話がありましたが、アメリカの大学は、学部教育は教養教育が中心のようなところがあります。アメリカでは専門教育は大学院に入ってからというところがあります。アメリカの教育に関して、たくさんの本が出ていますので、そちらを見ていただきたいと思います。古いものですが、江藤淳の「アメリカと私」(講談社)も大学の様子がわかります。私の見聞記は上智大学教育学科の紀要の30号に書き、2018年7月16日のブログでも読めるようになっていますので興味がありましたら見てください。

 現在の日本の大学教育や学生の様子は、かなり変化しています。私たちは、それを大学の「学校化」、学生の「生徒化」と呼んでいます。それについては以前に千葉大学で話したパワーポイントがありますのでそれを見てください(下記に掲載)。今学生は授業によく出るようになり、真面目に勉強するのでいい面はありますが、学生は従順すぎて、授業以外のことに関心を向けませんし、読書をすることは少なく、政治や社会のことに無関心になっているように思います。香港の学生のように政府に抗議することはありません。

青年一般に関しては、武内清「現代青少年の安定志向」(『教育と医学』2010年1月号、NO52)を見てください。 今の青年を非難するのではなく、その支援を考える必要があると思います。それは、武内清「青年期の社会的成長、自立」『子ども・青年の生活と発達』(放送大学教育振興会、2006年)) に書きましたので、それを見てください。(以下 略)

教育課程論・第12回 (12月13日)多文化教育、差別について

1前回のリアクションを読んでの感想  2(自分とは違う)「異質な他者」を感じることはありますか。どのような人に感じますか。(いくつでも) 1 年齢、世代の違い 2 異性 3 出身地の違い 4 育ち  5 国の違い 6 人種(肌の色など) 7 性格 8 能力 9その他3多文化教育的な視点、異文化間的な視点とはどのようなものですか(資料A、B) 4あなたが担任の教師だったとして、クラスの中の外国籍の児童に対して、どのような指導や配慮をしますか。(資料B‘) 5「差別」を見たり、感じたりしたことはありますか(資料D) 1 ない 2 ある(具体的に ) 6「青い目、茶色い目―教室は目の色で分けられた」の感想 8 他の人から感想をもらう