危機(意識)と権力の統制について

確か社会心理学の実験で、見えないところで「助けて」という声がしても、一緒にいる人が平気な顔をしていると、自分も大丈夫だろうと助けに行かない傾向がある、というものがあった。日本は農耕民族で、隣近所と一緒の時期に植え付けや取入れをすれば大丈夫という意識がある。つまり自分で考えるより、周囲や集団に同調すればうまくいくと思っている。さらに、戦前の軍国主義のトラウマをあるので、上からの絶対命令には拒否反応がある(皆が従えば別だが)。また戦後70年以上、平和が続いているので「平和ボケ」がある。したがって、危機意識が希薄で、新型コロナウイルス禍がどれだけ危険状況にあると言われても、ピンとこない。政府が緊急事態宣言など出すべきではないと感じている人が多いであろう。しかし、実態を知る専門家や識者は、コロナウイルス感染にもっと危機感を持ち、緊急事態宣言や都市のロックアウトをすべきと提言している人は多い。

一方で、それらの意見とは必ずしも対立するわけではないが、危機的状況における政府の権限の強化に関しては、注意すべきという意見も出されている。坂本龍一は次のように述べている。

<「自民党は、以前から憲法を改正して緊急事態条項を入れたがっていた。個人の権利を制限する法律で思い起こされるのは、1930年代にナチスが使った緊急事態条項ですよね。今回の法律も非常に危険だと思う。野党(の一部)も賛成して成立してしまったというのは、未来から見たら、全体主義的な方向にまた一歩近づいた出来事として記憶されるんじゃないかと思います。危機は権力に利用されやすい。最近、亡くなった(忌野)清志郎が言ってた言葉をよく思い出すんですよ。『地震の後には戦争が来る』って。『気をつけろ』と彼は警告を発してた。すごいなと」>(朝日新聞、2020年3月28日)

また、八柏龍紀は、ナオミ・クラインの説を紹介して、同じことを指摘している。

<ナオミ・クラインというカナダの思想家は、9・11テロやリーマン・ショック、あるいは東日本大震災などなど、21世紀に入って、権力者はそうした危機に便乗して、権力が勝手し放題できる体制を固めてきたと述べています。その本のタイトルは、ずばり『ショック・ドクトリン』(岩波書店2011年)というものなのですが、いわば大災害や大規模テロなどの衝撃的事件で茫然自失となった人びとを狡猾に操作し、それまであった「公共的秩序」を、危機意識を募らせて無力なものに貶め、その空白に市場原理主義的なもの、言い換えると「勝ち組」「負け組」的な格差を肯定させる原理を押し込む。それも迅速に資本力を一挙に注入して、有無を言わせず実施する。それによってそれまでの風景を一変させる。そして、そのなかで自らの富や権力基盤をより強固にする。これを「惨事便乗型資本主義」(本の副題にもなっている)と呼んでいます。言い換えるとファシズム化ってことでもあります。>(https://blog.goo.ne.jp/yagashiwa/e/e0a3c3ae13c59e0c6fb0ad6c09ce61f9

追記 ニューヨーク在住の日本人が、You Tubeで日本人は危機意識がなさすぎる。このままではニューヨークと同じように短期間で生活が一変する。店が開けない、給料がもらえないとか、言っている時ではない、コロナに感染すれば、病院にも行けず、重症化すれば命を落とすしかない、とにかく「今は外出しないこと」と警告していて、説得力がある。(NY在住の日本人が警告!本当のコロナウイルスの恐ろしさ!)https://www.youtube.com/watch?v=OHc8cfwn1ag

文献の引用について

論文で文献を引用する場合、その分野で最初に書かれた文献を引用するのが礼儀であろう。しかし、実際は最初の文献ではなく、執筆者の目に触れた文献(それはよく引用されるものが多い)が安易に挙げられ、最初に書いた研究者は悔しい思いをする場合が多い。

自然科学の場合は、それを最初に発見したとか証明したとかという優先性が重んじられると思うが、社会科学や人文科学の場合、その点がかなりあいまいになっている。それでも、アイデアの初発性というのは、自然科学以外でも、学問(科学)である以上重んじられるべきだと思う。

私が「生徒の下位文化をめぐって」という生徒文化に関する研究ノートを『教育社会学研究27集』に書いたのは1972年である。その時は、外国の文献と同時に、日本の研究では、野村哲也(1967)や松本良夫(1969)のものを挙げた。

『教育社会学研究37号』(1982年)に「学校社会学の動向」を書いた時、生徒文化の研究への初期の頃の提案者として河野重男先生を挙げ(『教育経営』第一法規出版、1969)、先生から感謝された。

今回、手元の古い文献を見ていたところ、下記の論文から多くの示唆を受けたことを思い出した。これまで引用しなかったが、記録に残しておきたい。

矢野弘「青年文化の研究Ⅰ-米国社会学者の4つの見解を中心として」『九州大学教育学部紀要、第10集』(1964年)

追記 アメリカの学会に詳しいK氏より、下記のコメントをいただいた。感謝し、転載させていただく。

<最近武内さんのブログで「論文の引用」について読みましが、たしかに日本の文科系ではその研究領域の最初の研究論文を言及するという習慣が薄いと思います。こうしたことは研究者の訓練過程でもあまり強調されていなかったと思います。研究のオリジナリティを尊重すべきだということでは、川島武宜の『ある法学者の軌跡』の中の「論文の書き方」(?)が勉強になりました。この本を何度も読み、勉強になりましたが、研究のオリジナリティを尊重しないというのは昔からのようです。日本人の情報収集力のなさと図書館なども不備などもこうした原因かと思います。アメリカの社会学会などでは論文の引用回数がより重視されるようになっているようです。>

マージナルな立場―イシグロ「私を離さないで」再考

もう一度読んでみたい小説のひとつにカズオ・イシグロの『私を離さないで』があることは確かである。何か心の琴線に触れるものがある。ただそれは哀しさが基調になっている。加藤典洋の『世界をわからないものに育てること』(岩波書店、2116)の中に、『私を離さないで』論がある。その中の指摘に、考えさせられることが多くある。特にマージナルな立場についての言及に、なるほどと思った(ただし、加藤はマージナルという言葉は使っていない)

イシグロは5歳のときに親の都合でイギリスに渡り、二つの国の言葉の間に宙釣りになっている。母語をもたない小説家であり、言語的にマージナルな立場にある。

彼の第2作『浮世の画家』の主人公の小野は、戦争中に戦争を賛美する絵を描き、戦後にそのことを肯定はしないが、その当時はそのように考える以外に方法はなかった、とその不可避性を信じている。それは「戦前の戦争目的をいまもなお信じるという国家主事者たちとも、これを否定する戦後の民主主義者たちとも違っている」(162-3頁)。(これは、加藤の『敗戦後論』の立場との共通性があろう)

「私を離さないで」に出てくるクローン人間は、「健常者と完全に同等というほどの能力もたぶん、もたされていない。しかし読む者は、より弱く、偽物の生を生きる疑似人間の方が、本物の人間よりもディーセントで、人間的ですらある、という不思議な読後感をここから受け取る。『人間』であることは、必ずしも『人間的』であるための、必要条件ではないようだ」(167頁)とあるように、クローン人間は人間に対してマージナルな存在であるが、繊細で、健気で、純粋で、心打たれる。

 このように言語的にマージナルな作家が書く、日本の敗れた戦争にマージナルな意識をもつ主人公、人間に対してマージナルな存在のクローン人間など、マージナルな作家がマージナルな登場人物を描いていて、何かに同一視(アイデンティファイ)している人間にはわからない新しい、深い問題を探求している。それは、主流や既存の勢力の以上の抵抗性や戦闘性をもつことがある、という加藤の解釈は興味深い。

「私を離さないで」には、ネットで見ても、さまざまな感想、書評がある。再読して、いろいろ考えてみたい。

https://www.kinokuniya.co.jp/c/20110418004051.html
https://bookmeter.com/books/545086

自分史について

人はどのような時、自分史を書きたくなるのであろうか。自分のキャリアに一区切りついた時や寿命(死)を意識した時かもしれない。大学の教員の場合、定年で大学を退職する時、それまでの自分の業績をまとめ、最終講義を行い、大学を去る場合が多い。私の場合、20年勤めた上智大学を退職する時、「上智大学教育学論集44号」(2010年)に多少記録を残したが、その3年前に「学生文化への関心―自分の研究をふりかえる」という文章を『ソフィア219号』(2007)に書いたことがある(添付参照)。

今は、学校でキャリア教育というもの推奨されているので、自分について考える機会は、人生のもっと早い時期にあるのかもしれない。小学生の時から自分はどのようなことが好きで将来は何になりたいのかを考えさせられる。『13歳のハローワーク』(村上龍)も話題になったことがある。高校卒業後の進路を選ぶとき、何が得意なのかを考え、進学先の学部(専攻)を選ぶ。大学を卒業して就職活動をするとき、「自己分析」をして、就職先を選び、選考に臨む。

しかし、若い時、自分のキャリアを考えるのに、自分の過去のことだけから考えるのは適当なのであろうか。20歳前後では、人生80年の4分の1も生きていないのである。若い時は過去のことより、もっと現在のことや、未来の可能性からキャリアを考えた方がいいように思う。

最近、高名な教育学者で、また有名な地名作家である谷川彰英先生(筑波大学名誉教授、中央教育研究所理事長)が、自分史に近い本を出版された(『ALSを生きる』東京書籍、2020)。いろいろなことを考えさせられ、励まされる内容だったので、自分史のことを考えた。

谷川先生には、下記のようなお礼状を送った(一部転載)

<ご著書をお送りいただきありがとうございました。ご著書は、一気に読ませていただき、「すごいな」という驚きの一言につきます。先生のこれまでの歩み、生き方、学問への姿勢、その業績、大学管理職の仕事、地名作家としての努力と著作、そして、ご病気の経緯、難病への対処、奥様の気遣いと看護、どれをとっても、すごいなと、感銘を受けます。ご著書はとても読みやすく、一気に読めます。ただ、軽いということではなく、深く考えさせられる内容が、明解な文章で、スリリングに書かれていて、最後まで、緊迫感をもって読ませていただきました。先生の少年時代や大学時代のエピソードも、興味深く、その後の先生の生き方や学問的業績の萌芽がそのようなところにあったのかと納得できます。若い時のドイツへの冒険的な旅行には、先生の人間としての大きさを感じます。また、加藤幸次先生の紹介で行かれたUWのことも、懐かしく読ませていただきました。順風満帆に走っていた船が、急な突風で、沈没寸前までいったのにも関わらず、冷静沈着に対処する谷川先生の、気力と体力には、本当に心動かされます。励みになります。先生が難病と闘いながら、どうしてこんな立派な本が書けるのだろうかということが驚きです。とても明晰で、論理的で、それでいて暖かく、人の心を打つような内容が満載です。暗さが全くないのも驚きです。また、先生のこれまでの学問的な業績が巻末に挙がっていて、その多さにも驚きを禁じ得ません。先生の他の著作も、もう一度読み返してみたいと思いました。コロナウイルスの猛威や季節の変わり目に、ご健康にはくれぐれも注意してお過ごしください。御礼まで。>