「吉本圭一教授退官記念誌」(2020.3)を読む。

大学教員が定年で大学を退職する時は、きちんと「最終講義」を行い、退職記念の記録を残し辞めていくのが、それまで勤めてきた大学への礼儀であるーこのようなことを、同僚の香川教授からいわれたことがある。ただ、退職前は、いろいろ忙しく、そのようなことをきちんとやるのは容易なことではない。私の場合、20年勤めた上智大学を定年で辞める折には、「最終講義」ではなく公開の研究会(「上智教育社会学研究会」)を開き、私も研究の総括のようなことを少し話し、記念の調査報告書(科研報告書)や研究のまとめのような冊子を配った。

このたび後輩にあたる吉本圭一氏(九州大学教授)より、九州大学の退職記念の記念誌(「吉本圭一主幹教授退任記念誌」145頁)と、記念出版の著書(「キャリアを拓く学びと教育」科学情報出版株式会社、2020,3)を、送っていただいた。

その記念誌に掲載されている吉本氏の業績と活動の記録をみて、その多さに驚いた。大学教員はこんなに仕事ができるのだと(正確には「こんなに仕事ができる人がいるのだ」と)。吉本氏の場合、論文80篇、著書(共著含む)32冊、翻訳4篇、総説・報告書・書評他163篇、講演273回、学会での研究発表117回(内国際学会28回)、科研費代表受託9回、科研費研究分担者22回、その他の研究費受け入れ10回、国際会議主催10回、ときわめて多く、九州大学での大学院・学部の授業も毎年9科目担当している。すごい業績と活動で、びっくりする。またその能力とエネルギーにも感嘆する。

エリート国立大学の教員が、研究志向なのがよくわかる。私立大学と違うのは、院生の数が学部の学生に比べ多いことが特徴である。吉本氏が九州大学に在籍した24年間に、吉本氏のゼミに所属した大学院生49名(1学年平均2名)いて、学部のゼミ生48名(1学年平均2名)と同じである。(私の上智大学在職中は、院生は、1学年1名程度であったが、学部のゼミ生は1学年10名を下ることはなかった)。国立大学は研究志向で、私立大学が教育志向という差が、学部のゼミ生の数字にはっきり表れている。

吉本氏の専門は教育社会学でも、マクロな職業教育や高等教育の分野が専門で、国の職業教育や高等教育の政策にも関わり、国際的にも活躍してきた人である。私とは研究関心や研究分野が違い、年に1度の教育社会学会で会い、挨拶する程度の付き合いしかなかった。それにも関わらず、このようなりっぱな退官の記念誌と新しい著書をわざわざ送って下さり、心より感謝したい(送ってもらった著書はこれから読む。特に「第3段階教育の複眼モデル」という吉本氏の独特の視点が、興味深く、学ばせていただく)

吉本氏が昔のことを、どの程度覚えているのかわからない。少し書かせてもらうと、私が学部の助手で、指導教授の松原治郎先生の「教育調査演習」の手伝いで調査の合宿に参加した折、吉本氏が学部3年生で、中学生の父母の面接に行き、なかなか帰ってこず、私が一人残り、彼の帰りを待ち、二人で御徒町駅前の寿司を一緒に食べに行ったことがある。松原先生が関係していた日本青少年研究所の千石保先生の「日米高校生比較調査」を私が手伝い、その後の「High School and Beyond in Japan」の調査を吉本氏が手伝っている。また福武書店(現ベネッセ)の「モノグラフ高校生‘83」の「職業科に学ぶ高校生」の調査を、耳塚寛明、苅谷剛彦、樋田大二郎氏らと一緒にやってもらっうように主査の深谷昌志先生に進言し実現したことなどが、私との接点である。(東大の教育社会学研究室の後輩たちが皆偉くなっている)。

最終講義の様子は、You Tubeに公開されているとのことで、視聴させていただいた。講演が多いだけあって、落ち着いた、人を惹きつける語り口で、吉本氏の研究経歴とアカデミックな内容が手際よく語られ、いい最終講義になっている。吉本氏は、4月から滋慶医療科学大学院大学に勤められ、研究を続けるという。ご活躍を期待したい。

 最終講義    https://www.youtube.com/watch?v=gjn2cZB-npQ

入試問題

入学試験の問題に、自分の文章が使われたりとすると、それは名誉なことであろう。有名な人の文章は、よく使われる。それは、内容も文章もすぐれているからであろう。残念ながら、私の書いた文章が、大学の入試問題に使われたという記憶は全くない。

40年前の徳島大学の入試問題(論文)に、「このようなものがありました」と、教え子が教えてくれた。見てみると、41年前に、IDE(高等教育雑誌)に私が小林雅之氏と一緒に書いた調査の報告書の一部が使われていた。「そのデータの一部を読み取り、そこから自分の考えを書きなさい」という問題であった。私の文章が使われたわけではなく、内容が使いやすかったのであろう。当時徳島大学には、教育社会学の研究者がいたので、それで私達の書いた報告書が目につき、使ってくれたのであろう。感謝するとともに、この調査の報告や分析に関しては、いくつか苦い思い出もあり、また今だったらもう少し別の分析や考察をしたのにと思うと、少し複雑な思いである。(若い頃のことを思い出すと、恥ずかしくなることが少なからずある。)

身だしなみを

今のように、自宅に籠る生活で、家族以外に人に会うこともなくなると、服装に気を遣うこともなく、寝ぐせも気にならなくなり、寝ぼけた顔で過ごすことになる。さらに家でやる仕事もないと、テレビやインターネットを何となく見て、ボーとしているうちに時間が過ぎていく。このような時、人に会ったら、さぞ間抜けた姿なのであろう。これを避ける為に、藤原新也は次のようなことを提案している。私は外見より、心の身だしなみ(緊張感)でもいいと思うのだが。

<たとえひとりで家にこもるような生活であっても日常の「躾(みだしなみ)」を保つと言うことである。心というものは型によって生まれるものだ。躾を保つことは心が澄み、合わせて自分を律する力となる。このいつまで続くとも知れない、生ぬるい空気の中ではそういった日常の小さな所作が一つの生きる力ともなる。>(Cat Walk)

梨泰院クラス・ロス2

先に書いたが、「梨泰院クラス」のOST( https://coneru-web.com/itaewonclass-ost/ )の4番目(가호 _ 시작(밴드 ver.) [Live]と、6番目(하현우 _ 돌덩이 [Live])の男の子とバンドの歌が特に印象的。8番目の女の子の失恋の歌もいい。k-ポップはこれまで聴いたことがないので、有名な歌手やバンドなのかどうかわからないが、こんなレベルの音楽が韓国には多いとすると、音楽的に日本の先を行っているなと思う。

内田樹「コロナ後の世界」を読む

内田樹のロングインタビュー「コロナ後の世界」が『月刊日本』に掲載された。その一部を、氏のブログから転載する。重要なことが、的確にまとめられていると感じる。

「コロナ禍が終息した後のアメリカの相対的な国威の低下と中国の相対的な国威の向上として帰結すると予測されます」「トランプは秋の大統領選までのことしか考えていないけれど、習近平はこれから5年先10年先の地政学的地位を見越して行動している」「米中の政治システムを比較してみると、まず中国は一党独裁で、血みどろの権力闘争に勝ち残った人間がトップになる。実力主義の競争ですから、無能な人間がトップになることはまずない。それに対してアメリカの有権者は必ずしも有能な統治者を求めていない。自分たちと知性・徳性において同程度の人間に親近感を覚える。だからトランプのような愚鈍で徳性に欠けた人間が大統領に選ばれるリスクがある。」「少なくとも現時点では、アメリカン・デモクラシーよりも、中国的独裁制の方が成功しているように見える。欧州や日本でも、コロナに懲りて、『民主制を制限すべきだ』と言い出す人が必ず出てきます。」

「(なぜ日本は失敗したのですか。)為政者が無能だったということに尽きます。それは総理会見を見れば一目瞭然です。これだけ危機的状況にあるなかで、安倍首相は官僚の書いた作文を読み上げることしかできない。自分の言葉で、現状を説明し、方針を語り、国民に協力を求めるということができない。」「感染症対策として、やるべきことは一つしかありません。他国の成功例を模倣し、失敗例を回避する、これだけです。中国や台湾、韓国の前例に学ぶ時間的余裕はあったんです。しかし、政府はそれをしなかった。一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。」

「もう一つの理由は安倍政権が「イデオロギー政権」だからです。たとえ有効であることがわかっていても、中国や韓国や台湾の成功例は模倣したくない。「誰」が出した案であるかが問題なのです。ふだん敵視し、見下しているものたちのやることは絶対に模倣しない。国民の生命よりも自分のイデオロギーの無謬性方が優先するのです。」

「「安倍政権においては、主観的願望が客観的情勢判断を代行する。「そうであって欲しい」という祈願が自動的に「そうである」という事実として物質化する。」「森友・加計・桜を見る会と、どの事案でも、首相が「そんなものはない」と宣告した公文書はいつのまにか消滅するし、その全能感に慣れ切ってしまったのでしょう、「感染は拡大しない。すぐに終息する」と自分が言いさえすれば、それがそのまま現実になると半ば信じてしまった。」

「コロナ終息後、自民党は「憲法のせいで必要な施策が実行できなかった」と総括すると思います。」「コロナ対応に失敗したのは、国民の基本的人権に配慮し過ぎたせいだ」と言って、自分たちの失敗の責任を憲法の瑕疵に転嫁しようとする。コロナ後には「すべて憲法のせい」「民主制は非効率だ」という言説が必ず湧き出てきます。」

「コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです」「階層の二極化が進行すれば、ネポティズム(縁故主義)がはびこり、わずかな国富を少数の支配階層が排他的に独占するという政体になるだろうと思います。」

「確かに短期的なスパンで見れば、中国のような独裁国家のほうが効率的に運営されているように見えます。民主主義は合意形成に時間がかかるし、作業効率が悪い。でも、長期的には民主的な国家のほうがよいものなんです。「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。」

blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html