12月の記録

最近は、何となくせわしなく、このブログへの記載も怠っている。誰かが読んでいるわけでもない私の日記代わりのものなので、問題はないのだが、日記との役割が果たせなくては困るので、近況を少し記録に残しておく。

12月5日(木)は、車で自宅から房総半島の真ん中を通って、養老渓谷の紅葉を見に行った。房総には外房か内房に海を見に行くことはよくあるが、房総半島の真ん中は、高い山もなく、とりわけ見るところもないのでほとんど行かない(冬にイルミネーションを見に、袖ケ浦にあるドイツ村に行くことはあるが)。今回、真ん中の素朴な千葉の田舎道を車で走り、それなりに木々も色づいていて、房総も風情がないわけではないと感じた。晩秋に行った北関東や伊豆の紅葉にはかなわないとは思ったが、養老渓谷の紅葉も、綺麗であった。(下記写真)。

12月7日(土)は、1997年に上智大学教育学科に入学した卒業生の集まりが、上智大学のソフイヤ会の同窓会館であり、久しぶりに上智大学を訪れた。当時同僚だった加藤幸次先生も出席されていた。卒業生の出席は16名。私が上智に赴任してから9年目くらいの人たちで現在45~6歳の働き盛り。一人ひとり近況を聞かせてもらったが、さすが上智の卒業生で、皆立派に活躍している様子が伺えた。懐かしく、また卒業生にいろいろ気を遣ってもらい、楽しい会であった。

12月11日(水)は、午前9時-11時は、家の近く(自転車で5分)の宮野木スポーツセンターで、卓球仲間7人と卓球の練習(男性の年齢は80台が多い)。11時―13時は、同じ場所の外のテニスコートで、テニス仲間(5人)とテニスのダブルスの練習試合(年齢は70台が多い)。昼間からこのように遊んでいられるのは高齢者の特権。費用もそれぞれ200円前後。卓球もテニスも一番下手な私としては、皆に迷惑をかけないようにと思い、全力でやるので、終わってからぐったり疲れた。本当は、1日2時間程度の運動を毎日やるのがベストのよう。

12月12日(木)は、飯田橋のホテルで、中央教育研究所の会合(「東書教育賞」の審査)が午後4時からあり、それに出席。終わってから東京駅・大手町のイルミネーションを見たいと思ったが、あまりの寒さに諦めて、真っすぐ帰った。もう冬の季節。

12月13日(金)は、9時―11時、テニス仲間5人で、宮野木スポーツセンターでテニスをやって、その後、まだ元気が残っていたので、敬愛大学に行き(自転車で20分)、図書室で新聞と雑誌を読み、学生食堂で学食を食べ、研究室で、PCに向かい、遠隔で担当している「教育社会学」の授業の講義メモを作る。大学で、若い学生達の姿を見ると元気をもらえる。

12月15日(日)10時30分から2時間 小学校の体育館で卓球練習に参加。美味しいリンゴを知り合いからたくさんもらったので、自分でリンゴケーキを作り、25等分〈5×5)して、皆に持って行き、休憩時間に食べてもらった。今回はかなり美味しく出来、好評。レシピは下記)。           

リンゴケーキのレシピー 材料:卵(大)1個、リンゴ(大)1個、小麦粉100グラム、サラダ油90CC 、砂糖70グラム、ベイキングパウダー小1、汁レモン1、バニラエッセンス、シナモン適量。作り方:全部混ぜて、180度のオーブン(コンベック)で約20分焼く。(もう少し時間をかけて焼いた方がいいかもしれない。今回はこの2倍の量で作った、時間も2倍) 

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風の便り 74号

辻秀幸氏の「風の便り74」(2024年12月1日発行)を、中に同封されていた私信とともに掲載させていただく(私のブログへの感想も書かれている)。辻氏の関心は、今虫から花に移っているようだ。虫からの移る方向が、盆栽や石でなくて安心した。花に関心が向くということはまだ気持ちが若いということである。自分より年上の人が、元気な日常を送られていることを知ると、嬉しくなる。自分も歳を言い訳にせず、頑張らなくてはと思う。

家事、育児の経済的価値について


昨日(12月2日)の天声人語に、家事・育児の経済的価値にふれた下記のような記述があった。
<生涯独身だった彼(アダム・スミス)がステーキにありつけたのは、台所にいた母親のおかげでもあるはずだ。「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」という本で、北欧出身のジャーナリスト、カトリーン・マルサル氏が疑問を投げかけている。経済学は、家事や育児を軽視してきたのではないか、という問いだ。▼料理をしても、食器を洗っても、子どもを寝かしつけても、国内総生産(GDP)には反映されない。介護や保育など、かつては家の中だけにあった仕事の賃金も低いままだ。▼言うまでもなく、家事や育児を担ってきたのは圧倒的に女性である。その価値や負担と向き合わないまま、さあ外で自由に働きましょうと追加発注しているのが、いまの状況ではないか>

これを読んで、今の日本では、家庭の家事や育児には経済的価値があると法律でも認められているのではないかと思い、下記のようなことをChat Gptに聞いてみた。

質問―専業主婦の家庭での家事や育児には経済的な価値は認められていますか。夫婦の離婚の際、結婚期間に夫婦二人(特に専業主婦の場合、夫の稼ぎ)が得た収入は、半分は女性(専業主婦でも)のものという法律が日本にあると聞いたことがあります。これは正しいですか。そのような法律や考え方は、アメリカにもありますか。

Chat GPTの解答―専業主婦が行う家事や育児の経済的価値は、日本では法律的に一定程度認められています。具体的には、離婚時の財産分与に関する法律がこれを反映しています。/日本における法律の背景―日本の民法では、結婚期間中に夫婦が共同で築いた財産(共有財産)は、基本的に離婚時に半分ずつ分けられるとされています。財産分与の対象: 主に結婚生活中に得た収入や購入した財産(不動産、預貯金など)が対象となり、婚前にそれぞれが所有していた財産や相続で得た財産は対象外です。専業主婦の場合: 家庭での家事や育児が夫の経済活動を支える一環とみなされるため、専業主婦も「財産形成に寄与した」と判断され、夫婦共有財産の半分を受け取る権利があります。この仕組みは、専業主婦の家事労働や育児に経済的価値を認める考え方に基づいています。実際の分割割合は夫婦の協議や裁判所の判断によりますが、原則として2分の1です。/アメリカにおける状況―アメリカでは州ごとに法律が異なりますが、以下のような制度があります。コミュニティ・プロパティ制: カリフォルニアなど一部の州では、結婚中に得た財産は「共同財産」とみなされ、離婚時に半分ずつ分けられます。エクイタブル・ディストリビューション制: 他の州では、公平性を重視し、貢献度や必要性に応じて財産分与が行われます。専業主婦の場合、家事や育児の貢献度が考慮されることが一般的です。アメリカでは、専業主婦の家庭内労働が経済的価値として評価される傾向があり、離婚時にそれが反映される仕組みが整っています。

千葉の海からの富士山を見る

私の住む千葉の海からでも富士山が見えないわけではない。しかし静岡や山梨からみる富士山と見える大きさが違う。家から車で13分ほどの検見川浜(幕張メッセの隣)に、夕日と富士山を見に行った。検見川浜に着いたのが午後4時半近くになっていたので、日の入りは5分ほど前に終わっていて、周囲の空の夕焼けが少し見えただけであった。遠くに富士山のシルエットが見え、桟橋には、多くの釣り人がいて、遠めの富士山と夕焼けと釣りを楽しんでいた。これもそれなりの味わいはある。

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文章ー難しいことを易しく

私達、教育学や社会学の研究者は、研究の方法や内容が大事だと思っているので、それを表現する文章や文体に関してあまり関心を払わない。またそれらが大事だと思うこともほとんどない。古典や最新の外国の専門文献に書かれている基本的あるいは最新の分析視点やその成果を直訳して引用し、自分の研究の中核に据えることもよくする。外国文献の言い回しを直訳すると、修飾語がやたらに多くなり、わかりにくい日本語になる。それこそ高度な専門用語による学問的考察だと悦に入ることができる。

私の場合、院生の頃、京大教授の社会学者の作田啓一の文章に惹かれ、何度も読み直し、このような文章を書けないものかと思ったことがある。作田啓一の場合、文学にも造詣が深く(夏目漱石、ドフトエスキーに関する著作もある)、その影響が文章にあらわれている。一般に、文学者の文章は、無駄がなく、いい文章だなと、感じることが多い。

小説家の井上ひさしが述べ、同じく小説家の寂聴もよく引用していたという言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもしろく、おもしろいことをふかく、ふかいことをゆかいに」を、最近の新聞記事(「村木厚子さんに聞く3」朝日新聞11月27日朝刊)より知った。文章を書く際は、心がけたい。