大学は社会に出て恥ずかしくない社会性を学生に身につかせる場として、大学教師は学生に対してしつけや生活指導を行わなければいけないのであろうか。
私はそうは思わない。それよりは、大学教育で学生に教えなければならないことがある。それは、自由ということである。社会学者の浅野智彦氏が、「大学で出席をとることは学生が授業を欠席する自由を奪う」と言っていたが、それほど大学は自由な場である。自由を体験できる場は、人の一生で大学以外にはない。
学生時代に、授業に出ようが欠席しようが、寝ていようがテレビや映画を観ようが、自分の判断で決めればいいことで、そのことで咎められる必要はない。
大学教師にはいろいろな人がいて、その教師の要求に答えなければ単位はもらえない。その多様な要求に答え単位を習得する処世術を学ぶのも大学である。
出席に厳しい教員もいればそうでない教員もいる。私語、スマホに激怒する教員もいれば許容的な教員もいる。それを見極め対処する術が、社会に出た時に役立つ。杓子定規な道徳心の教育は、大学教育の目指すべきものではない、と思う。