自分の学生時代を思い出してみても、大学時代の合宿の思い出は印象深くいつまでも消えない。大学の教室で学んだことはほとんど忘れているが、合宿でのことはよく覚えている。大学教育の中で、寝起きを共にした合宿の経験は貴重である。
私の場合は、大学で入ったサークルでの1年生の5月の鎌倉のお寺の本堂に50人もの学生が雑魚寝をし、真っ暗な中で上級生から話しかけられた時の戸惑いは忘れられない。また夏の野尻湖合宿で、最後コンパの後に下級生が上級生を湖に投げ込む「慣習」があり、それから逃れるために暗闇の森に隠れた恐怖の体験も、思い出ぶかい。学科でも上級生の企画してくれた山中湖の合宿(そこではマルクス・エンゲルスの本を読むように勧められた)、教育調査の為の合宿(面接の為に古河市の安い旅館に泊まり込んだ)が思い出される。
武蔵大学に勤めた時は、1年から4年まで学年を超えたゼミ合宿を毎年夏に行い、学生の交流を計った(よくテニスをした)。合宿のゼミでは上級生がとても立派なことを話すのに驚いた。武蔵のゼミコンパは皆よく飲み、宿泊先に迷惑をかけ、同じ場所を2度と使えないということも多かった。体調を崩した学生に付き添い、救急車に乗ったこともある。私の退職の時、武蔵の多くの卒業生が集まってくれたのも、この毎年の合宿のせいではないかと思っている。
上智大学では、1年生が入学するとすぐ、1泊2日のオリエンテーションキャンプがあり、これが学生たちの友達作りと大学への適応を高めるはたらきをしていた。上級生のヘルパーのお蔭もあるが(様々なゲームや寸劇やイベントを1年かけて企画していた)、行きのバスと帰りのバスで、新入生の顔つきや親密度がまったく違った。
上智の教育学科では、各ゼミが競って工夫したゼミ合宿を行っていた(歴史的な教育の建造物の見学など)。私は見学よりはゼミでの発表や話し合いを重視し、2泊3日で5回のゼミでいろいろ発表と討論を行った(場所は、軽井沢や山中湖など近場で)。他大学(横浜国大、立教)との合同でゼミを行ったこともある。また、隣の研究室の加藤幸次先生のゼミに便乗させていただきアメリカ(NY,UW等)や香港の学校訪問の旅に出たこともある。
しかし、最近学生の合宿は、ゼミでもサークルでも少なくなっているような気がする。新入生向けのオリエンテーションも、合宿はせず学内で実施することが多い。学生たちも大学ってそのようなものだと思っているので、文句も言わないし、ゼミ合宿のような面倒なものがなくていいと思っている節(ふし)を感じる。
教員にとっては、ゼミといっても、合宿もコンパもなく楽でいいなと感じる一方、学生時代の一番大事なことを経験させないで、学生を送り出していく後ろめたさも少し感じる。
(大学時代に一番大事なことは、ゼミと合宿とコンパだということを、今の学生は知らない。)