生活しているといろいろな人との関係が自然と生まれる。時にそれが煩わしいと思うことがある。
しかし、それは「年寄りでない」ことの特権で、退職し、ましてや一人暮らしになったとき、人との関係はほとんど途絶えてしまう。その時になって、人との関係はあることのありがたさがわかる。
たとえそれが、振り込み詐欺の人であっても、自分に話しかけてくれた人がいるということがうれしいのではないか。
年寄りの視点から考えてみると、どのような形であれ、人間関係があるというのは、とても嬉しい。身近な具体例をあげてみよう。
① スパーでも、近くの商店街でも、コンビニでも、買い物をしたとき、そこの定員と話ができるのは、嬉しい。
② 近所を散歩している時、知り合いや知り合いでなくても、話ができれば楽しい。
③ 犬を飼っていて、犬の散歩に出かけると、その犬を媒介にして、いろいろな人と話が
できる。同世代だけでなく、異世代の人と話ができるのは至福。
④ 病院に行き、そこの医者や看護婦が、いろいろ気遣ってくれるのは嬉しい。
⑤ 何か、地域のサークルやスポーツのクラブ、あるいはボランティアの会に入っていると、そこでの活動を通して、いろいろな人と交流できる。
⑥ (私達のように)、歳をとってからも大学の非常勤として雇ってもらえ、若い人と日々接することができるというのは、大変有難い。
⑦ 子どもの家族と同居することは、「やっと子育てが終わったのに、煩わしい」と感じることがあるが、「それは天から与えられた贈りもの」というF先生の言葉が、心に残っている。
以前に、「レンタルフレンド」という制度があることを紹介したが(2014年5月31日ブログ)、人間関係というものを、お金に換算したら、とても高価なものになる。
「水と平和はただ」と考えるのは日本人だけという説があったが(イザヤ ベンダサン)、「人間関係はただ」と考えるのは、少し考え直した方がいいかもしれない。(大学という場は、高い授業料を払って、人間関係を得に行く場なのかもしれない、とフッと思った)