6月11日の朝日新聞朝刊に、藤原新也のインタビュー記事([ニッポンの若者よ])が、ほぼ一面を使って掲載されていた。
藤原ファンの記者の思いが込められた記事で、読み応えがある。
<静かな語りの中に、熱がたぎっていた。アジアの旅で「世界の虚偽」を見た若き日の感受性は、71歳のいまも変わりないようだ。柔らかさと思いの深さが、少女たちの心を開かせたに違いない。(聞き手・藤生京子)>
藤原新也は、下記のように現代の若者の現状に憂慮していると同時に、期待もしている。
「多数派の若者は抜け殻の大バカ者連中です。奴隷制度に近い雇用の中、昔なら左傾化したはずが逆に右傾化している。東日本大震災後、結婚願望が増したように、不安が高まる中、寄らば大樹の陰で、まったりしたいんだろう。昨年、香港の雨傘運動の取材から帰国した足で渋谷へ行ったら、ハロウィーンの仮装ですごい騒ぎ。この差は何だ? と考えこんだよ」
――絶望的になりませんか。
「期待するね。たとえば海の魚は種類ごとの棚に棲(す)み分けるけど、ときどきストレスをためた変な魚が別の棚に泳ぎ込むと、一気にバリアーが崩れて魚種の違う大群になるんだ。そんな変な魚になって、世界をぱっとつなげていくのが僕ら表現者の役割。恐れず行き来すれば、異種のマグマに満ちたコミュニケーションが生まれる。そうなると怖い、と思うよ」
藤原新也は、少年少女の衝撃的な事件からその時々の若者の心情を読み解くすぐれた感受性、洞察力を持っていて感心させられるが、一方、そのような特殊な事例が一般化できるのかという危惧の念も感じざるを得ない。
最近の犯罪白書などの統計を見ると、青少年の凶悪犯罪も刑法犯少年も触法少年もかなり少なくなっている。この新聞記事の冒頭の「若者や子どもがわからない。そんな戸惑いと不安が広がっている。陰惨な事件は後を絶たず、閉じたコミュニケーションも世代の壁を厚くするばかりだ」は、記者の書いたものだが、このように藤原新也も思っているのか、聞いてみたいところだ。