アクティブ・ラーニングの難しさ

昔ながらの講義形式の授業をやってきたものからすると、アクティブ・ラーニング型の授業をすることは難しい。

昨日(27日)の授業(敬愛大学「教育原論」)でも、「いじめ」のことを学生に考えてもらおうとしたが、講義型になり、学生の思考を深めることにはならなかったように思う。

いじめに関しては、これまで様々な議論があり、興味深い教育社会学的論文も多くあり、それらのエッセンスのみを短時間で話してしまった(森田洋司「いじめの4層構造論」のプリントは配布)

いじめと喧嘩の違い、被害者の心理によるいじめ定義による曖昧さ、いじめの4層構造論の問題点、いじめの起こりやすい集団的特質(閉鎖性と半親密な関係)、いじめ自殺を防ぐには(遺書のもつ意味)などである。

それより、学生のアクティブな思考を喚起するような、発問や討論テーマを考え、授業を進めるべきだったと反省(数人に、いじめ対策についての考えを黒板に書いてもらい、意見を共有することはしたが)。しかし、そのためには、どのようにすればよかったのかは、いまだよくわからない。

今後の教育学のテキストも、学生のアクティブ・ラーニングに活用できるようなものが求められるのであろう。そうなるとテキストの内容はどのように変わるのであろうか。たとえば、いじめ(問題)の場合、いじめの定義や実態、その対応を説明していた従来型のテキストに代わり、どのような構成になるのであろうか。

新しい学習を引き出す「学習問題」を付けるのも一つの方法かもしれない。さらに大きな改変が必要であろう。