いまどきの若者について

 放送大学の卒業生から、「新入社員の若者がよくわからないので、若者論を読もうと思う。適切な本がないか」と尋ねられた。 さらに話を聞いてみると、その若者は、中高大とエスカレータ式で進学したもので(4大学の1つ)、必死で努力をした経験がなく、何事にも頑張りが足りないとのことであった。
確かに、受験競争が緩和され、のんべんだらりとした若者が増えたのかもしれない。しかし、このような一人のケースを一般化するのは難しいと思った。
 今の若者論と言えば、真っ先に、土井隆義氏の本をすすめたが、同時に今話題の若手の社会学者・古市憲寿の本もすすめた。
 古市憲寿の本に関しては、私が昔学部時代習ったことがある高名な先生から、下記のようなコメントを送っていただいたことがある(一部転載)。
 
古市憲寿著の「絶望の国の幸せな若者たち」、「希望難民御一行様」を読みました。
著者は「我が孫」とは言わないが、「我が子」よりもはるか若い世代。本の帯の「26歳社会学者による大型論考の誕生」というキャッチフレーズが飛び込んできた。冒頭に「これだけひどい状態に置かれて、なぜ日本の若者は怒らないのだ」という外国人記者の問いかけが登場する。それに対して、著者はにこやかに「日本の若者は、幸せだから」と答えている。
年寄り達は「今の若者は可哀そう」と同情するが、とんでもない、今の若者は一番幸せだという。なぜかといえば、適当に食えているし、同じ境遇同士で集まっては「ムラムラ」していて、それがいちばん幸せなのだそうだ。
「ムラムラ」という言葉は、若い者同士で小さな「ムラ」を作って、仲良くやっている状態を指しているらしい。仲良くやっているとはいっても、要するに同じ部屋にたむろして、片方ではテレビを見ているかと思えば、片方ではマンガを読み、もう片方ではギターを弾いている。めいめいが勝手なことをしながら、同じ部屋に溜まっているだけで幸せだという。こういう状態を「ムラムラ」というのだそうだ。これだけ言葉の意味が変わると、つくづく歳はとりたくないものだと思う。
また「この国にはなんでもある。ないのは希望だけ」という文章もでてくる。たしかにコンビニへ行けば今では何でも手に入る。しかし「希望」だけは売っていない。コンビニさえあれば、困ることはない便利な時代。もしかしたら、現代の若者から見れば、世界全体は「コンビニ的世界」なのかも。
「希望難民」とは、欲しいものは何でもあるのに「希望」だけが見つからないという難民同志で、ピースボートに乗りくみ、世界一周のクルーズに出かける幽霊船物語。船上では「平和と護憲を願う9条ダンス」を踊ったりするイベントがあるが、けっしてサヨクではない。結局114日間の世界クルーズの結果、どう変化が起こったのか。依然として「希望」は見つからず、「セカイ」も変わらず、「自分も変わらず」。しかし船上でできた仲間同士で、また集まってムラムラしている。
結論は、今の年寄りはよってたかって「今の若者」に「夢」を持たせようとしているが、なまじ夢など持たない方がよいという。むしろ「あきらめることが大事」。「セカイを変えること」など考えず、そういう大きなことは誰かに任せておけばよい。誰かがやってくれるから、そういうエリートに任せるに限る。
読み通してまず思ったことは「若いということは途方もない特権」。ただしその特権には、賞味期限がある。しかも使った途端に蒸発してしまうもの。
ただしこれも逆に老人のヒガミとやっつけられる危険性がある。そう思うのは私にも既視感があるから(そういえばこちとらも若い時はそういっていた)。結論をいえば、老人は急いで墓場のなかに逃げ込むに限る。