知識は本を読んで得るのが一番かと思うが、直接話を聞くことにより興味が湧いたり、調べようと思う気持ちになることがあるのではないか。はじめて会う人や専門の違う人と話す機会があると、思いもよらない発想やこれまで気が付かずにいた視点を教えられ、感心することがある。
4月は人事異動の時期であり、新しい人に出会うことが多い。私が客員として勤めている放送大学文京学習センターでもこの4月に所長が交代し、新しい客員も2名増えた。先日(4月7日)、新所長のもとに客員6人が集まり、7人で雑談をした折、科学をめぐっていろいろな話が出て、興味ぶかかった。その7人の専門は物理2人、化学1人、医学1人、哲学1人、古典文学1人、教育学1人(私)である。
そこで話題になったことは、「科学とは何か」「科学と技術の関係は」「科学技術という言葉の政治性」」といった「学問の科学性」に関する議論であった。やはり、この間の震災、原発の事故で、科学の根本や社会的な側面が問われているのであろう(物理専門の富永靖徳教授は、「自然科学の考え方の一番大切なことは、『騙されないこと』と強調していた。)
皆大学の教員であるとは言え、雑談の中でこのような議論が自然とできるのは意義深い(大学教師が集まっても、給与の低さや待遇の悪さなどが話題になることが多いのが通常である)。客員教授で、統一テーマで、公開講座のようなものを開き、一人ずつ話して、議論を深めるものいいという話しも出た。たとえば「絆」というテーマで。
夜に開かれた懇親会の席で、元筑波大学と元お茶水女子大の先生から、独立法人化した国立大学が昔の国立大学といかに変わったかという話を聞き驚いた。また、今の若い教員(50歳以下)が、議論を嫌い、トップダウンの「指令」を望んでいるようになっている話も聞かされた。
このような雑談(耳学問)も大事だと思った一日であった。