教育の研究では、よく学級規模や学校規模の研究がある。
私も昔、「高等学校の適正規模の研究」という共同研究に参加したことがある。それはちょうど第2次ベビーブームの高校増設の時で、どのくらいの規模の高校を作ればいいのかが緊急の課題だった時代である。標準は1学年6学級くらいだったと思うが、1学年10学級や12学級の学校を作った方が経済的効率はよく、その場合、教員同士の関係や教育効果は大丈夫なのかを調べた。
結果は一律には言えず、指導法の確立している伝統校は大規模しても大丈夫だが、新設校で大規模校を作ると、教員の意思統一が図りにくく、新設校の偏差値の低さもあり、教育指導、生活指導に困難をきたすということがわかった。
学級規模に関しては、小さいほどいいと考えられているが、僻地などの学校様子でわかるように、あまりに学級人数が少ないと、子ども同士の交流も限られ、いいとは言えない。
私は、小学校では50人、中学校では60人弱、高校50人くらいの人数だったが、学級はそのようなものだと思っていたので、多すぎて困ったという記憶はない。先生との距離もちょうどよかったように思う。
大学のゼミ(演習)は、何人くらいが適正なのであろうか。少人数教育を特色にしている敬愛大学で今問題になっている。
これは、学生の特質にもよるように思われる。多様な留学生いる場合、個別指導が必要になるので、なるべく少人数の方がいいようだ。ただ、かなり同質の学生が集まっている場合、少人数である必要があるかどうか疑問だ。
学生の視点からも考える必要がある。ゼミの人数により、教員と学生との距離に関して違いが出てくるし、それ以上に学生同士の関係に違いがあるように思う。
私の経験では、自分の学部の専攻の同学年は私も含めて6人(男5人、女1人)で、この6人で多くの授業を受け、調査実習の作業などもすることが多かった。私にとって、これは人数が少なすぎて苦痛であった。その時入っていたサークルの同期は30名いて、こちらの方が気楽に交友できる人数であった。
私が最初に勤めた武蔵大学では、「ゼミの武蔵」と言われ、1年から4年までゼミがあり、私のゼミは「青年期の社会学」などの気楽なテーマだったせいか人数が多く、いつも各学年20人は超えていた。(4学年で、80人くらいのコンパをやったこともある。夏の自由参加のゼミ合宿も40人以上参加が普通であった)
次に勤めた上智大学教育学科では、3年からゼミがあったが、3年次は2つのゼミが必修だったので、20人以上のゼミが普通だった。(2年くらいからゼミがあってもいいと思ったが、学生からは「そんなに永く教員と関わりたくない。2年間で充分」と言われた)20人を超えると、教員と学生との距離は遠く、気楽な関係だったと思う。合宿やコンパをよくやり、望む学生との距離は近くなることはあったが、それは強制ではなく、これが教員にとっても学生にとっても、心地よい距離だったと思う。(ただ、研究室の大学院生は数人で、親密だったと思う)
今の敬愛大学では、少人数をうたっていることもあり、1年からゼミがあり、そのゼミ人数を10人以下にしようとしている。私のようなものには、少し息苦しい。学生が息苦しさを感じていないのであればいいが。