大学の授業での私語に関して、昔学生の言い分を集め、次のように書いたことがある。
「大学生の忙しいスケジュールの中で、友達とのコミュニケーションとる場は、授業しかない。私語は悪いとわかっているが、必要に迫られているし、ストレス解消になるし、悪を犯す楽しみもある。私語をしながら大事なポイントは押さえているから、先生たちも気にせず,講義を続けて下さい。私語をするより面白い話をしてくれれば、耳を傾けますよ」
(武内清『学生文化・生徒文化の社会学』2014、ハーベスト社、18ページ)
これは、教員たちからは不評であった。「こんな甘い見方をするから、学生は付け上がって私語をやめないのだ。私語を厳しく取り締まるべきだ」と。
学生からは、「何も考えていなくて私語をしているのですよ」と言う意見と、「共感できる」という意見が返ってくることが多かった。
今回、学生のレポートの中に、それとは違った、しかも至極もっともな意見が書かれていたので、紹介する。
「この章を読んで、授業中の私語が良いことだと思っている学生が多いことに驚きました。私は、私語は授業の妨げになるし良くないと考えています。そのため、教科書に書かれている彼らの意見に同意できませんでした。「ストレス解消だ」とか「授業でしか話ができない」とか「私語をしていても授業はきちんときいている」といったことが書かれていましたが、みんな自分のことしか考えてないのかな、と思いました。授業以外ではアルバイトやサークルなどで会えないから授業中に話す、なんて自分のためでしかないのでは、と感じました。いくら自分にとって教師の話がつまらなくても、自分が興味を持てなくても、その授業を真剣に、真面目に受けている人もいるに違いありません。私語は、そんな人たちの邪魔になってしまいます。授業を受けるなら、他の人への迷惑にならないように行動するべきです。授業は、会話をするためにあるわけではないし、学生一人一人が勉強をするために、知識をつけるためにという意識で授業に臨むことが大切だと考えます。また、教師もしっかりと、はっきりと私語への注意をする必要があると思います。やはり、教師と学生では立場が違うわけだし、教師がきちんと指導しなければならないと思います。(また)なるべく大教室を減らし、少人数教室で授業を行うことがいいかもしれません。」