何かを語るのは、何かを隠す為?

「何かを語るのは、何かを隠す為」という自覚は少しある。
しかし、「やはり、自分のことを語ると、自分の弱点を隠すというよりは、それを晒してしまうことの方が多いかもしれない」と、ブログに関して、人の感想を聞きながら思った。
敵やライバルの弱点を知れば、その人を攻撃したり追い抜いたりするのには役立つかもしれない。しかし、敵やライバルでもなく、さらに他人で、あまり関わりを持ちたくない人の弱点など知りたくもない、と考えるのが人情であろう。

ただ、漫才の面白さは、漫才師らが「いかに自分達はバカか」を、ボケとツッコミという二人の掛け合いで示し、聴衆の優越感をそそることにあると、どこかで読んだことがある。それは関東にはない、関西の文化である。
関西の血が流れている私(父が兵庫出身)には、漫才師の才能はなくても、漫才師の心意気(サービス精神と言ってもよい)が少しあるかもしれないと思うことがある。(しかし、前にも書いたが)、関東でボケてバカを演じると、本当にバカと思われてしまう(ツッコンでくれない)という怖さもある。ツッコミのないボケほど白けるものはない。