東京育ち、湘南住まいの知人が、大阪に住み、関西の大学に勤めるようになってもうすぐ1年。彼は、大阪が面白く、たいそう気に入っているようだが、学生から、「先生の話にはオチがありませんね」と言われて、ショックを受けたということを、年賀状に書いていた。
以前にも一度書いたことがあるが、昔全国大学生協のシンポで、私の前の報告者の竹内洋氏(当時京都大学助教授)の話を聞いて、青ざめたことがある。ユーモアに満ち、ボケとオチがありで、聴衆は爆笑とともに聞き惚れていた。その後で、どのような話をすればいいのか冷や汗ものだった。居直ってデータの解説に徹し、その場を凌いだが、関西の話文化の伝統のすごさを知った。
それから、自分の講義にもせめて「ボケ話」やオチを入れるようにしたが、東京(関東)の大学で、自分がボケた話をすると、関西風にツッコンではくれなくて、その通りにとられ、憐憫と軽蔑の混じった視線を向けられる。
私は関西で生活したことはないが、関西の血は流れており(父が兵庫県龍野出身、親戚は関西に多い)、関西人の祖母によく面倒を見てもらい、関西弁、関西文化に浸ってきたので、関西の文化は身体化されているはずである。これまで関西の大学で教える機会がないことが、とても残念。「ボケやオチのある私の話」(?)は、関西の学生に受けたはずなのに。