求められるギフテッド教育の具体例

内外教育の「ひとこと」(2024年11月19日)に書いた短い文章(「資質とその教育 」)を、知り合いの大学教員が、学生に読ませその感想を書かせたものを送ってくれた。その教員の授業でのいい説明もあったのかと思うが、私の書いた趣旨をよく理解し、それへ感想をきちんと書いてくれたものが多く、感激した。

私が言いたかったことの1つには、宮城まり子の「ねむの木学園」の例も紹介し、「今日本では特別支援や多文化教育で、一般に欠けている能力を補う教育支援は盛んに行われるようになっている。しかし、逆の特異な才能や資質を伸ばすギフテッド教育は、あまり注目されない」がある。それを私は一般的に述べただけであるが、その必要性を裏付ける具体的な事例を書いてくれる学生までいて(下記に転載)感心した。

<私の弟は知的障害を伴う中度の自閉症の子なのですが、集団行動が不得意であることが原因でその子の持つ本当の才能に気付いてもらえず、私たち家族はいつも残念な気持ちでいます。この子は見たことがある鳥や植物は全て記憶しているし、電車の時刻表や種類も考えれないくらい多くのものが頭に入っています。それに人の悪口を言ったことがことのない優しい純粋な子どもです。日本の一斉教育は集団行動が出来なければ浮いてしまい、「出来ない子」として見られます。でもその「出来ない子」にも他に秀でたものがあることを、自分が教師になった時にちゃんと分かっている人でありたいと思いました。>