社会階層と大学

<大学の定義についてですが、私の問いの意図は、シュッツ・バーガーの日常性の常識からの問いです。生活者が問う大学の意味の差異に基づく再定義です。同時にデューイのInquiry-based learningは、大学の研究者や知的エリートのためではなく、シカゴという新興巨大都市の混乱の中をしぶとく生きぬく中下層の生活者の日常での経験の世界に根差す知の価値の再評価が問いの淵源・・・と私は理解していますが・・・>(M氏)

これを読んで教えられたことは、(私の視点も含めて)日本の高等教育学会などの議論は、エリートの視点からの視点が優位ではないかということである。それとは別に、労働者階層や大衆の為の大学教育(ないし生涯教育)を考えなければいけないと感じた。さらに大学外で人々が、野の知識人や芸術家から学んでいることも考える必要があると思った。

労働者階層の為の大学教育に関しては、一般の大学でも、正義や社会的平等や機会均等の為の教育、働く人にとって労働法の学びは大切という議論はたくさんある。しかしそれはエリートからの視点ではないかという(自己)検証は常に必要である。

イギリスの生涯学習は、労働者の学びの為であり(2024年8月17日のブログ参照)、大学解放運動などが主になるという香川正弘・上智大学名誉教授の指摘は重要である。また、吉本隆明、藤原新也などは、野(大学外)にあって、多くの文学的・芸術的・思想的な本を出版して、人々に影響を与えてきた。大学で教えた経歴はあるが、それ以上に執筆した本で人々の学びに影響を与えた作家や思想家は、数多くいる(夏目漱石、江藤淳、清水幾太郎、日高六郎、古井由吉、見田宗介、内田樹など)。

労働者階層の為の大学というのは、あるのだろうか。日本教職員組合の全国大会は、教育労働者の為の学びの場であるが、そこでの教育研究や議論は、一般の教育系の大学の研究や議論をリードしているという話はあまり聞かない。社会階層と教育(や研究)の関係は、なかなか複雑で難しい。