以前に書いた文章や出版した本を読み返すことはどのくらいあるのだろうか。村上春樹や藤原新也は、自分の書いた本を読み返すことはほとんどない、と言っていたように思う。藤原は多くの本を出版しているが、その本を手元に置いていないとも書いていた。
私は今回、たまたま研究仲間と昔一緒に書いた本(『キャンパスライフの今』玉川大学出版部、2003年)を読み返す機会があった。それを読みながら、「こんな文章を書いていたのか」とか「昔は大学や大学生に関してこのように考えていたのか」という感想をいだいた。同じく同書を読み返してくれた人がいて、その感想がアマゾンのコメント欄に掲載されている。(以下そのコメントの転載)
20年を経て見えたものー武内清編『キャンパスライフの今』(玉川大学出版部)が発行されたのは2003年でもう20年の時が過ぎている。当時院生の私はすぐに手に取った。教育社会学の基本をきちんと備えて、しかも学問書であっても都会的なお洒落な雰囲気の素敵な本だと思った記憶がある。本著には、「知性に裏付けられた優しさ」がある。/ そして2024年の今、必要があって本著を探した。私はこの間何度も転居を重ねていて自宅の乱雑な本棚からこの本を探すことができず、学部を卒業した慶応大学の図書館でこの本に向き合った。 改めて読み直すと、20年前には感じることができなかった読後感を持った。/ まずは非常に緻密な研究書であるということである。「大学生文化研究会」の調査が元になっているが、これは1997年に19大学2130人と1998年7大学の454人へのアンケートや聞き取り調査が基盤になっている。ひとつのアンケートを実施するにも、大学の許可や担当教員の監督のもと、学生の協力を得ての実施にはどれほどの面倒があったことだろう。そのデータがさまざまな方向から考察され、データからの考察の生成が確実なものとなっている。また、全国大学生活協同組合連合会の調査など多くの大学生調査の資料が丹念に検討されている。教育社会学の訓練された研究者たちならではのデータと資料の分析である。こうしデータや資料の分析から当時の「キャンパスライフの今」が描かれている。/ 第9章(渡部真)には、「非行や犯罪、精神疾患など心配しなければならない状況におかれている青少年と対極に今の大学生は位置している」とある。大学生は特権的で恵まれた階層であるのがさらりと述べられている。この感覚は当時大学に院生として在籍していた私には皮膚感覚としてよくわかる。/ 15章(岩田弘三)の統計の中にも「『修学継続困難』の中身」として娯楽嗜好費があげられ、これが大学生にとって「健康で文化的な最低限度の大学生活」の維持に欠かせないとされている。/ この事象のみならず、大学生活が多方面から視点をあてられ、キャンパスの様子がいきいきとわかる構成になっている。今、読み直すとそれぞれの学生には困難や苦悩はあったろうが、概観として豊かな時代であったことが感じられる。/ 翻って現在はどうだろう。経済的な難しさが言われて、大学生もその困難を免れない者が多くなっている。コロナのせいもあるとはいえ、誰もが名前を知っている大学で食料配布が行われたニュースが相次いだ。豊かな学生が集まっていると言われている慶應大学で2024年には経済的困窮の学生に定期的にワタミのミールキットを無料配布するという発表には心底驚いた。全国の大学では奨学金の問題も大きくなるばかりである。/ おそらくそれと表裏に、名門大学には有名私立中高一貫校からの進学者がほとんどになっている。かつては地方国立大学の独壇場であった地方銀行に就職できるのが都内名門大学出身者に代わっている。もちろん日本を代表する大企業へのアクセス権は都内名門大学のみになっていると言っても過言ではない。/ このような事態がどうして起こったのか、またそれが肯定されるべきことかどうかわからない。おそらく教育社会学の研究手法、分析手法もこの20年で大きく変化してより緻密な研究成果が期待できるだろう。であるなら、今再びの「キャンパスライフの今」を期待する。多くの教育社会学者よ、どうか今のこの衰退に向かっているしかない日本の突破口になるべく再びキャンパスを論じて欲しいと強く願うばかりである。/ 恐ろしいほど整備され、恵まれた生育で気持ちも良い学生たちが黙々と勉強している三田の図書館でそんなことを思った。(小林かをる)