外国語を学ぶ意味に関しては、内田樹氏が最近のブログで明確に述べていて感心した。それを転記しておく。
< いまの英語教育は、外国語の学び方としては目指している方向が違うように思います。外国語を学ぶことはとても大事です。人間的成長のためには「不可欠」と言ってもよい。でも、今学校でやっている英語教育は「人間的成長」ということを目標にはしていないように思えます。/ 外国語の学習には「目標言語」と「目標文化」があります。「目標言語」が英語の場合、目標文化は「英語圏の文化」です。その言語を学ぶと、それを足場にしてその言語圏の文化の深みにアクセスできる。母語の外に出て異文化圏に入り込み、母語とは違うロジック、違う感情を追体験すること、それが外国語を学ぶことのもたらす最大の贈り物です。母語には存在しない概念に出会い、母語には存在しない時間意識や空間意識の中に入り込み、母語には存在しない音韻を母語を語っている限り決して使わない器官を用いて発音する・・・。これはどれも知性的にも感情的にもきわめて生産的な経験です。/ 自分たちとは全く違う枠組みを通じて世界を見ている人たちがいるという事実を知ることは、個人の人間的成長だけでなく、人類が共同的に生きてゆくためには必須のことです。/ 外国語学習は何よりもまずそのような人間的事業として営まれるべきだと僕は思いますが、現在行われている英語学習はコミュニケーションツールとしての英語の習得が目的化していて、もはや「目標文化」というものがありません。「目標言語」はあるが、「目標文化」はない。/ 実際に、ある時期から大学の英米文学科に進学する学生の選択理由のほとんどが「英語を習得して、英語を活かした職業に就きたい」になりました。/(それなら)英文学科に進学するよりもネイティブ・スピーカーが教える英語学校に通った方がいい。その方が学費も安いし、無駄な単位を取る必要もない。/多くの人は、「学ぶ」というのは所有する知識や情報や技術の総量を増やすことだと思っていますが、それは違います。「学ぶ」とは自分自身を刷新してゆくことです。学んだことによって学ぶ前とは別人になることです。学ぶことによって語彙が変わり、感情の深みが変わり、表情も発声もふるまいもすべて変わることです。「コンテンツ(内容物)」が増加することではなく、「コンテナ(入れ物)」そのものの形状や性質が変わることです。>(内田樹の研究室「受験についてのインタビュー」2023-08-29、http://blog.tatsuru.com/)
このブログの文章はインタビューの記録である。そのせいか話題がいろいろ飛んでいる。目標文化の学びだけが人を成長させるわけではない。外国の人とのコミュニケーションが異文化体験になり、自分自身の刷新(成長)になる場合もある。そこのところは聞いてみたい。