ジェンダーの問題は複雑で捉え難い。先に書いた大野道夫氏が紹介・解説する歌を読んでそれを感じた。
「皆殺しの<皆>に女は含まれず生かされてまた紫陽花となる」(大島静佳、2018)
この歌に関する大野氏の解説(注)に下記のような記述がある。
<黒澤明の映画「7人侍」(1954)では、野武士に拉致されて生かされたいる女性が、(野武士の)燃える砦から出たところで元夫と出くわしてしまい、再び火の中に戻っていく。手塚治の『火の鳥1、黎明編』(1976)』の巻末では、侵略されて男が皆殺しにされた後で、残された女が「女には武器があるわ/勝ったあなたがたの/兵隊と結婚して/子どもを生むことだわ」「生まれてきた/子は私たちの/子よ」「私たちは/その子たちを育てて/いつか あなたを/ほろぼすわよ」と言う。平家物語の最後には、生かされて出家した平清盛の娘の生涯が語られている>(大野道夫『つぶやく現代の短歌史』234ページ)
ジェンダー論やフェミニズムにおいては、強者(男性)と弱者(女性)という権力関係が自明視されているが、それが必ずしも実態に即していないこと(女性の方が強者)もある、ということであろうか。