外国暮らしが長くなると、個人の感覚の何かが変わり、帰国しても周囲に人と何かしっくりこないと感じることがある。江藤淳は『アメリカと私』の中で、「1年だとすぐもとの生活に戻れるが、2年いると自分のなかのなにかが確実に変わってしまう。ぼくは近ごろ周囲の連中と調子が合わなくて困っている」という米国人の友人の言葉を紹介している。
「青子のウィスコンシン渾身日記」を書いている白井青子さんは、「4年分のアメリカ漬けの暮らしは確実に私の何かを変えていた」と、日本に帰国してからの違和感を、8月28日付けのブログに綴っている。そのいくつかを抜き出しておく。
<2ヶ月前にアメリカから帰国し、ホームであるはずの日本で始まった暮らしは、強烈なカルチャーショックの連続だった。なにしろこの4年、日本に一度も帰国せずにアメリカの田舎町にいたのだから、まずそこらじゅう日本人が居るということに戸惑ってしまう。それから、未だに誰もがマスクをしているということ、当たり前だけど日本語が飛び交っていること、そして誰もがムキムキでカジュアルなアメリカ人に比べると華奢で礼儀正しくエレガントなことに、いちいち驚かされるのだ。/ 例えばそれはペーパーワークの多さや現金でしか支払いの出来ない場面に遭遇すると、いちいち辟易するという反応によって日常で顕在化されるのだった。/ 毎朝、保育園の連絡帳にシャチハタでハンコを押さなければならない時、私はよくマディソンで槍玉に上がった日本の「ハンコ文化」についての会話を思い出す。/ 職場に復帰した白井くんは、予想通り、平日は帰宅時間がとても遅かった。/ 息子は家の近くを流れる川をふざけて「汚い湖」と呼んで笑っていたが、学校から持ち帰った七夕の短冊には「ウィスコンシンに行きたい」と書いてあった。私は仕事を始めて一週間目で上司に口答えしたので、さっそく呼び出されて一時間ほど説教を食うことがあった。いろんなことが突如として変わり、それらがあまりにも違いすぎていて、私の心は時々、込み上げてくる複雑な思いと戦わなければならなかった。それは郷愁とか悲しみといったセンチメンタルな感情ではなく、なんというか、漠然とした生きることそのものへの困難のようだった。/ そんなある夕方のことだった。私はこの日、暗い気持ちを抱えて、息子と二人で荒川の土手を歩いていた。心の中がもやもやしていて、どうしても夕焼けが見たくなったのである。夕暮れ時、少し開けた川の土手に出ると、そこにはいつかマディソンで見たような、ピンク色に染まった美しい空が広がっていた。(以下略) > (http://nagaya.tatsuru.com/seiko/)