ホンネとタテマエのどちらが大切か、あるいはどちらが人を行動に駆り立てるのはどちらだろうと考えることがある。人は利己的で、自分の損得を第1優先で行動を選択する(ホンネ優先)という見方が普通であろう。しかし、実際は、理想や大義や筋といったもの(タテマエ)が、世の中を動かすことがある。内田樹の下記の文章を読み、そのようなことを感じた
<ポイントは、「政治的正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)です。今回、ゼレンスキー大統領は国際社会に向けて「われわれは、自国領土や市民の自由と権利を守っているだけではなく、この戦いを通じて、世界中の人々の自由と権利をも守るためにも戦っているのだ」というメッセージを発信しました。ウクライナは自国の独立や国益より「上位の価値」を守るために戦っていると訴えた。そして、そのメッセージには十分な説得力がありました。ウクライナに世界中の市民から支援が殺到したのは、そのためだと思います。/ これまで紛争では被害国は「自分たちの領土が侵されていること、生存や自由や権利が脅かされている」ことを訴えはしましたけれど、それを守ることがそのまま「万人の生存や自由や権利を守る」ことに通じるというメッセージを発信することはできなかった。ですから他国の人々は「気の毒に」とは思っても、侵略されている人たちが「われわれのために戦っている」という印象を持つことはなかった。/ロシアはNATOの東方進出で自国の安全が脅かされたという「戦争理由」を掲げました。でも、これはいかにプーチンにとって切実だったとしても、ロシアの国益にしかかかわりがない。ロシアを超える「上位価値」のための戦いであるというメッセージをロシアは発信できませんでした。/ 人が「反抗」するのは、それが自分個人の運命にのみかかわることではないと感じた時です。自分一人が苦痛に耐え、屈辱を甘受すれば済むということについて、私たちはそれほど激しくは抵抗しません。/ カミュはこう書いています。「人が死ぬことを受け入れ、時に反抗のうちで死ぬのは、それが自分個人の運命を超える『善きもの』のためだと信じているからである。/ 今回は「政治的正しさ」が戦争の勝敗を分けるほどの威力を発揮した。/「正義と公正」のために戦う人間なんかいやしない。みんな自己利益のためだけに戦っているのだというシニシズムが支配的だった時代だと思っていたら、意外にもウクライナの市民たちは「正義と公正」を掲げて国際社会のモラルサポートを勝ち得た。「きれいごと」の現実変成力の大きさを証明した。>(内田樹の研究室 2022-04-21http://blog.tatsuru.com/2022/04/21_1156.htmlより一部転載)