新型コロナ禍の日常

毎年いただく年賀状の中に、ひとこと言葉が添えられているものが多い。今年多いのは、「新型コロナ禍が早く去り、平穏な日々が戻ってきますように」というものである。それが皆の一番願うことであろう。それと合わせて、新型コロナ感染拡大のもとで、このように頑張っていますと、具体的な活動を添え書きしてくれた人も多い。

昨日(1月5日)の朝日新聞の朝刊を見ると、「耕論」(「画面越し」に見えたのは)に阿川佐和子、金原ひとみの両氏が、新型コロナ禍のもとで人に会えないことに関して示唆的なことを言っていた。転載しておく。

<対談の仕事にも、昨年はオンラインが採り入れられました。「逆によくなった」とまでは思わないけれど、コロナのおかげで、今までなら諦めていた遠方の人とも話せた。「あうんの呼吸」は難しいし、生で会った方がよかった人もいます。でも、実際に会うことが「唯一の条件」ではない。他にも手立てがあるということ、とりあえず挑戦してみようということを、このコロナ禍で学んだ気がします。>(阿川佐和子)

<そもそも、人と関わるとはどういうことなのか、コロナ禍にこそ考えるべき問いなのではないかと思います。 密に会えなくなった恋人や家族に対して、似たような感覚を抱いた人は、少なからずいたのではないでしょうか。悪い面ばかりではない、と私は思っています。「会えなければ意味がない」というのであれば、会うことで自分は何を得ていたのだろうか。そんなふだんは気付かないことを考える新しい思考回路が生まれたと思います。より親密になった人もいれば、別れた人もいる。コロナは「この恋愛は本当に大切なものなのか」を問うリトマス試験紙のような役割も果たしているように思います。>(金原ひとみ)