幼少期に養われた生活感覚が、歳をとってからまで持続するものだと感じることがある。終戦前後に生まれの世代の生活はとても貧しく質素であった。台風が来たりすると家が吹き飛ばされそうだったし、雨漏りがしてバケツや洗面器が家の中の所々に置かれた。食べるものは質素で、味よりはとにかくお腹が少しでも満たされればよかったし、外食などしたことがなかった。クーラーや冷蔵庫はなく、夏は暑く、ハエや蚊にも悩まされた。暑い中、蝉取りや釣りに夢中になった。冬の家は隙間風で寒かった。寝るのは雑魚寝状態で、狭い家に親戚の居候がいつもいた。家では母や祖母が内職をして働き詰めで、わずかなお金を稼き、生活の糧にしていた。収穫の終わった農家の畑に、取り残した芋を探しに行ったこともある。家族で旅行することは一度もなく、学校の遠足や修学旅行が唯一の楽しみであった。
このような幼少期を送ると、家は貧弱でも屋根があり、とにかく寝ることができ、生活できれればいい、食事は美味しさよりお腹が膨れればいい、旅行や遊びなど贅沢はしないで日々何とか生きれればいいーこんな生活感覚を持ってしまう。そして世代の違う家族メンバーと意識の違いが生じてしまう。
日本は戦後の貧しい時代から、高度成長を経て、豊かな社会になり、各家庭の日々の生活も豊かになり、エアコンで過酷な寒さ暑さを感じることなく、美味しいものを食べ、避暑地や海外旅行も楽しみ、さまざまな娯楽や趣味に没頭する生活が送れるようになった。これは明らかに進歩であり、感謝しなければならないが、終戦前後に生まれた世代は、今の自粛時代に昔の過酷な日々に耐えた、貧しく質素な生活を、懐かしむ気持ちも時々起こる。
<追記 うちでは,自粛で自給自足も一部始まっている。>