(以前にこの欄にも書いたが)、私は学生時代は市川市立図書館で月2回開かれていた「鑿壁読書会」に所属し、さまざまな小説を読んだ。文学は専門ではないものも気の向くままにたくさんの小説や評論を読んできたつもりである。芥川賞が発表になればそれの掲載される文藝春秋は買い求め読むようにしている。しかし、毎月や季刊の文芸誌(文学界、群像、新潮など)を読むまではいっていない。
最近、知人が書いた小説が、『三田文學』(140,冬季号)に掲載されたというので、その掲載誌を送っていただき,読む機会があった(『三田文学』は慶応出身の錚々たる作家や評論家たちが執筆している伝統のある文芸誌で、そこに小説が載るというのはすごいことである。その知人の小説に関してはいずれ書きたい)。
そこには、「特集 江藤淳・加藤典洋―日本近代の行方」など、私の好きな評論家の特集などがあり、興味をもって読んだ。その中に、「原民喜未発表書簡」というものがあり、はてな(?)と感じた。原民喜とははじめて聞く名前で、未発表の書簡があることが話題になるほど有名な人なのかという疑問である。
それが、今日(1月19日)の新聞朝刊で、昨日のセンター試験の国語の問題に原民喜の文章が載っていて、原民喜は入試に出るほど有名な人で、無知なのは私の方であることを思い知った。文章は、亡くなった奥さんを追悼するような内容で、とても心を打たれるものである。さらに、戦争への哀悼や反戦的な気持ちもにじみ出ているものである。
ネットで、原民喜について検索して、次のようなこともわかった。原民喜は、明治38年(1905年)~昭和26年(1951年)に生きた作家(45歳で自殺)。慶応大学卒、広島で被爆し、三田文学の編集にも関わった。代表作は「夏の花」(昭和22年)。氏のその作品の内容は、岩崎文人によれば、「肉親の死、妻の死、被爆者の死と、死を凝視し続けた作家といってよいし、鎮魂の歌をうたいつづけた作家といってもよい。 戦後の原民喜は、妻貞恵を鎮魂する個人的な〈嘆き〉とヒロシマの死者たちを鎮魂する社会的〈嘆き〉というふたつの悲しみを生き、そして、孤独な生をみずから閉じたのである。」『原民喜戦後全小説上・下』〈講談社文芸文庫〉がある。https://www.library.city.hiroshima.jp/haratamiki/00top/top01.html
追記 国語の入試問題に詳しいI氏より、原民喜に関して、いくつか情報が寄せられた。去年の青学に竹原陽子の文章(「原民喜童話と『星の王子さま』」『原民喜童話集』収録)からの出題あったとのこと。 原民喜は詩人でもありキリスト教にも通じている人であるとのこと。中国新聞に寄稿された竹原陽子の「詩人・原民喜と聖書」は味わい深い文章である。http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=33618。竹原陽子は、「原民喜の「翳」がセンター試験に出題されたということで、問題を解いてみました。時間を気にしながら集中して、新鮮な味わい。特に原民喜らしい言葉の箇所で作問されているように思われました」と述べている。https://twitter.com/takehara_yoco。