今から60年も前になるが、大学生の頃、東京外語の仏文の学生だった友人から「ラディゲは読んだ方がいいよ」と言われたことがある。読んだがどうか覚えていないが、バタイユなどの名前と同時に、その頃の先の見えない閉塞感の時代の憂鬱にぴったりの作家・作品という印象が残っている。
今の時代は、若い人にとってその頃と同じような、先行きが見えない閉塞感に充ちた時代なのであろうか。
ラディゲの本の紹介を新聞で読んで、昔を思い出し、今の若者の先行きを考える。(朝日新聞より一部転載)
理不尽な世界に必要なリアル
物語の舞台は、初めての世界大戦に揺れる1917年のパリだ。15歳の「僕」は、美貌(びぼう)の人妻マルトと禁断の恋に落ちてしまう。マルトの夫は従軍していてずーっと留守なのだ。
街のあちこちで、銃後の人々が、異様な高揚感と非日常感に浮かされる日々を送っている。そんな時代の空気に押され、子供と女は刹那(せつな)的な情事をひたすら繰りかえす。「すべてがその場かぎりのことだという気持ちが、妖しい香りのように僕の官能を刺激していた」。
その昔、フランス革命の勃発が文学を庶民の娯楽に変えたように、世界大戦の始まりも、文学の意味を決定的に変えたと。 世界はかつてない大混乱に襲われたのだ! 若者にしたら、良いことをしても報われず、努力をしても大きな力になぎ倒されて、理不尽に死ぬだけ! そんなひどい時代に生きるしかないとき、勧善懲悪の物語(ロマン)や、少年が周囲に助けられて大人になる成長小説なんて……いやー、読んでらんないですよねー……。それより、戦争に翻弄されてなすすべもない人々のリアルや、混乱の中で成長や成熟ができずに苦しむ若者のお話のほうが、魂に必要とされただろう。
そして、その魂の問題は、いまを生きる我々のリアリティーにも繋がっている。あれきりずっと、世界は理不尽だからだ。(桜庭一樹が読む レーモン・ラディゲ「肉体の悪魔」 朝日新聞 2018年1月14日)