私のこのブログはコメントもできず(よく調べるとできる)、カウントも付いていないので、私のメモ(日記)状態だが、読んでコメントをメールで送って下さる方がたまにいる。私にとってはとてもありがたく、掲載をお願いすることもある。ブログを読んで下さる数少ない「友人」のひとりの水沼さんより、「友人関係について」のコメントをいただいた。了解を得て、掲載させていただく(武内)。
先生の8月15日掲載の「友人関係について」に関連して私も「私の友人考」を書いて
みました。
故郷仙台に戻り一年、途絶えていた同級生との付き合いが再開しています。中には小
学校以来60年振りというものもありました。男子でも女子でも、じっと顔を見ると、
どこかに子どもの頃の面影が残っているものです。そして自然に「~ちゃん」という
名前が出てきます。悪ガキだった私にも親愛の情を示してくれます。友だちとはいい
ものだとつくづくと思います。
さて、吉田兼好の徒然草(第百十七段)の「よき友三つあり」に「一つには、物くる
る友。二つには医師(くすし)。三つには、知恵ある友」とあります。鎌倉末期とい
う時代考証が必要でしょうが、庵(いおり)暮らしの兼好にとって、米、野菜、味噌
などの食べ物、高価な薬、自分の知らない知識などは喉から手がでるほど欲しいもの
だったことでしょう。
私なりに現代的に解釈すると、「物くるる友」は、電話やメールをくれる友、一緒に
勉強や旅行をしてくれる友。「医師」は身近に身体や心の不安を聞いてくれる友(医
者、看護師)。「知恵ある友」はコンピュータ技術や人生の在り方、生き死に、良書
を教えてくれる友、となります。
私はこれに「己を知る友」を加えたいと思います。中国戦国時代の予譲の「士は己を
知る者の為に死す」は、「男子たるもの、自分の真価を認めてくれる人のためには、
命を投げ出してでも応えるもの」という意味です。秦の始皇帝の暗殺を試みた荊軻も
そうでした。このような過激な生き方でなくても、自分の生き方を理解し評価してく
れる友がいることほど心強いものはありません。人とは所詮孤独な存在、いつかは果
てる命、そんな中で心の結び付きを確認できる友の存在は何にも代えがたいものだと
思います。
「竹馬の友」という言葉がありますが、広辞苑の逆引きで調べたら、「会心の友、心
の友、心腹の友、竹馬の友、莫逆の友、方外の友、忘年の友、メル友」などが出てき
ました。私はこれらの言葉に「あの世の友」を加えたいと思います。このところ立て
続けに同級生が三名亡くなりました。飲んでいて友人の一人が上を指さし「ほら〇〇
君が来ているぞ」と言ったりします。そして〇〇君を加えた昔話に花を咲かせます。
(水沼文平)