ロマンチックラブの行方

これは新しい世代の感覚だし、また家族社会学のテーマだから、世代の違う門外漢には理解不可能な内容のような気がする。

私の学部・大学院の指導教官のひとりの故松原治郎先生がnuclear familyを核家族と訳し、恋愛結婚で結ばれた夫婦とそこに生まれた子どもが人類普遍的な核であるとした。私たちの世代は、ロマンチックラブで結婚することが理想的なものと考え、そこで生また子どもを健全に育てることこそ家族の使命と考え疑うことをしなかった。
ところが、今そのロマンチックラブ=結婚のイデオロギーが揺らいでいるという。

それは、「ロマンチックラブは自由な恋愛を描いているように見えて、受動的で依存的な女性像を再生産してきた」「典型的なロマンチックラブを描いてきた米ディズニー。「リトル・マーメイド」(89年)、「美女と野獣」(91年)などから、抑圧された女性の成長物語という色彩が強まり、決定的なのは「アナと雪の女王」(2013年)だ。妹アナとハンス(王子)との恋愛は「真実の愛ではない」と否定され、姉エルサの愛は異性に向けられない。」
「ありのままの自分を認めてくれる『ピュアな関係』を求める欲望が見え隠れする。」「恋人か友達か。異性か同性か。境界が揺らぐ背景には、今どきの親密な関係への欲望と、従来のロマンチックラブとのズレがある。」
(「友達?恋人?曖昧さの魅惑」朝日新聞8月17日朝刊)。

アメリカのテレビドラマgleeの恋愛関係、人間関係をみていると、ロマンチックラブ=結婚は基調にありながらも、それ以外のさまざまな恋愛関係、人間関係が描かれ、ロマチックラブ=結婚がかなり揺らいでいることがわかる。
日本の若い人たちの現実は、どのようなものなのだろうか?上記に書かれているようなことが、現実なのだろうか。学生達にも話を聞いてみたい。