授業の記録 敬愛大学『教育原論』第4回目学校の起源と機能

ものごと特に集団や組織や制度のあり方を考えるとき、2つ側面から考えるのが有効だと思う.一つは、それを作られた時の起源(意図)に立ち返ること。どのようなものでも、最初の崇高な意図(理想、目標等)があるが、それが年月が経つにつれ忘れられて変容(堕落)する。その時は、初心にかえり、初発の契機(意図)に戻ることが大切である。そのためには歴史研究が必要である。もう一つは、最初の契機(意図)が何であれ、現在の機能や効用から考える方法である。時代とともに何でも変わっていくのは当然で、今の時代や社会の中で、それがどのような機能や効用(結果)を生んでいるのかを実証的に確かめ、そこから判断していくのがよいであろう。社会学や経済学は、この立場であろう(注)。

  敬愛大学の「教育原論」(こども教育学科1年生対象)の4回目の授業(5月12日)で、「学校について考える」というテーマで、学生に学校のことを考えさせるのに、上記を取り入れ、下記のようなリアクションを用意した。  まず、前回のリアクションを読んでの復習(1)、学校に行くことへの素朴な感想(2)、いじめ自殺という極端なケース(3)、学校に行く契機(起源)(4)、学校の機能(5)、学校の機能2-潜在的カリキュラム(6)、教師の起源(7)、学校に代わる制度(ホームスクーリング)(8) 。  資料を用意し、テキスト(高野・武内編『教育の基礎と展開』学文社)も参照しながら、説明を簡単にしながら、学生にリアクションの流れに沿って、考えてもらった。

(4)の学校の起源に関しては、テキストの22節の「公教育思想の系譜」(中山幸夫・敬愛大学教授執筆)のコメニウス、コンドルセ、Deweyの思想の箇所を説明し、読んで理解してもらった。 (5)に関しては、自分の体験から考えてもらい、そのいくつかを黒板に書き紹介し、私の方でまとめ、補足した。(6)はプリントで、潜在的カリキュラムに関する説明をした。(7)は教育史の宮沢康人教授の優れた考察のプリントを読んでもらった。

 今回の内容は1時間分にしては、盛りだくさんで、時間切れで、8,9まで進まなかったが、学生のリアクションを読む限りは、リアクションの回答を多くの学生がびっしり埋め(下記参照)、金曜日の5時限目という最も疲れている時間帯にも関わらず、授業についてきてくれたように思う。(やはり若さか)。

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(注)あるアイデアというのは、昔読んだ本の中にあることが多い、発生の契機と実際の機能が違うというのは、作田啓一の「価値の社会学」か、井上俊氏の青年論の本の中にあったように記憶する。作田啓一の本の中からは見つけられなかったが、井上俊氏の「青年の文化」(『遊びの社会学』世界思想社,1977年集録)の中に、次のような文章が見つけることができた。
<(「すっごけ派」の)高校生の場合も、「遊」への離脱は、もともと烈しいストレス状況(進学受験体制)に対する防衛として生じたのであろう。しかし、発生と機能とは区別される必要がある。現実を遊戯の視座から見直すことによって現実の中の歪みが明らかになるような場合、そして単なる自己慰謝にとどまらない現実への対応の姿勢が生み出されるような場合、「遊」方向への離脱は、明らかに、防衛をこえた新しい意味を獲得しているといわねばならない。>(166頁)