昨年の10月26日のこの欄に、谷川彰英先生の地名に関する6冊目の著書のことを書き、次のようにお礼を述べた。
<柳田国男研究で有名な谷川彰英先生(筑波大学名誉教授・元副学長)より、ご著書『千葉の地名の由来を歩く』(ベスト新書、2016年10月)を、サイン入りでいただいた。先生の「地名の由来を歩く」シリーズの6冊目のご著書で、その精力的な執筆活動に敬服させられる。私は千葉は東京に隣接するだけで、たいした歴史も文化もない県と思っていたが、このような歴史の深さや面白さのあるところと、谷川先生のご著書から多くのことを教えていただいた。また、千葉県が古くから全国の各地(特に徳島県や紀州)とも密接につながっていたというのも興味深い。千葉県人はこの本を読むと、千葉県に住んでいることに誇りを持てるかもしれない、と感じた。>
昨日(19日)、千葉県では一番大きなデパートである「千葉そごう」の最上階にある三省堂書店に行ったら、谷川先生のこのご本が今週の売れ行き一番という表示が出ていた(写真参照)。千葉の地元ながら、多くの有名人の本を差し置いてNO1というのはすごい。
谷川先生は、既に次のご本の執筆にとりかかられているようだ。
<情報ありがとうございます。お陰様で発売4か月目に入っていますが、まだ売れているようです。今年は埼玉にとりかかっています。>
私が幼年期・青少年期を過ごしたのは、千葉県市川市の「高石神」という地域である。この「高石神」という地名はどこからきたのか、また近くに「鬼越」「中山」「本八幡」「小栗原」という地名もあり、その由来も、今まで考えたこともなかったが、谷川先生に今度お会いした時尋ねてみたいと思った。近くに、日蓮宗のお寺「中山法華経寺」もあるので、それらとも関連しているのかもしれない。
仙台にいる水沼文平さんからは、仙台の地名について、興味深い情報を送っていただいた。
<地名は自分の住んでいる場所の歴史を知る意味で大きなキーワードになります。私が育った地域の昔の住所は「仙台市荒巻字古海道東」でした。仙台市の北西部にあり昭和初期に宮城郡七北田村から仙台市に編入されました。藩政時代は「荒牧」という地名で、伊達藩の軍馬の牧場があった所です。三方が山に囲まれ、真ん中を川が流れ、城下にも近く放牧には最適の地であったと思われます。
「古海道」には別名「秀衡街道」という呼び名があり、かつては幅2メートル半くらいの砂利道でした。奥州平泉と京を結ぶ幹線道路のひとつで義経や金売り吉次が通ったかも知れません。現在は宅地化に伴い拡幅された舗装道路になっていますが、北方1キロにある国有林には昔のままの姿で残っています。
さて、この「古海道東」は、現在は「青葉区荒巻中央」に変更になっています。古海道という地名はわずかにひとつの「公園」に残っているだけです。
こういった地名変更は全国的な傾向だと思いますが、昔からある地名にもっと愛着を持って欲しいものです。
子どもの頃、私はこの古海道近辺の畑からたくさんの矢尻や石斧を収集しました。縄文人がイノシシやシカを追い、奥州で採れた金銀が通過し、藩政時代には軍馬が嘶き、などと想像していると、この地域も単なる住宅地ではなく「歴史遺産」として別物に見えてきます。なおこの一帯は3.11の地震でもさほどの被害がありませんでした。古代人が長い時間をかけて安全な場所と見極め定住した理由もこれで理解できます。
山の団地や海の埋め立て地の大きな被害を見るにつけ先人の知恵、自然との共生をもっと学ぶべきだと思います。>