非常勤先の大学(神田外語大学)で教職科目の「教育社会学」を教えていて、「あれ!」と思うようなことがあった。
かって私が教えていた上智大学の教育学科のようなところでは、「教育社会学」は教職科目ではないので、教員採用試験に出るとか教師になって役立つとかということを意識しなくてよかったが、教員養成の為にある科目がある大学の場合、そのような実利的な効用を意識せざるを得ない。学生もそれを期待して受講しているのだし、実利的な目標を設定することは、そんなに悪いことではない。
そこでは私の著書の『学生文化・生徒文化の社会学』(ハーベスト社、2014年)をテキストに学生に発表をしてもらっているが、ここ2回はたまたま大学や大学生文化を扱う章(1章~4章で、発表内容と議論が、大学生活の実態や大学教育の意味といった、教職とは関係のないこととなった。
発表の後の少人数の討論の後の感想を聞いていると、「大学とはどのような場なのかいろいろ考えさせられた」「大学は何をしようが自由な場で、その時間を有効に使いたい」「将来の安定確保の為に教員免許を取っているが、それでいいのか迷うようになった」「語学はあくまで、何かを学ぶための手段であり、それを使って何をしようかいろいろ考えている」など、実利的なキャリヤ(将来の職業)の為でない、大学や学生の本来のあり方への模索や理解がなされていることを知り、教える側として大変うれしく感じた。
このような実利でない大学教育の意味を、私もしばらく忘れていたように思う。