日本の高校に外国籍の生徒を入れることについてー生成AIに意見を聞く

日本において少子化が進み、人口減少が加速化している。小中学校だけでなく、高等学校(特に公立)への進学者数も減少している。(政府は公立高校の複数出願を認め、第1志望の高校に落ちても、その学区の定員の最低点以上の点数であれば、どこかの学校に合格するー昔の総合選抜制―で、その問題を回避しようとしている)。外国籍の子どもを、日本の高校に呼び込む方策はどうであろうか。中国の親で、日本の高校に子どもを通わせたいと考えている人も増えていると聞いたことがある。そこでそのことを、生成AIに聞いてみた。以下その回答を、転記する。

質問―今中国では受験競争が厳しく、それなら日本に早い時期から来て、日本の学校や大学を卒業して、日本ないし世界で活躍する子どもを育てたいと考える中国の親が増えていると聞きます。中国人が日本の高校に入学するメリットは、当人にとって、また日本にとってあると思いますか? 日本の高校はそのような中国人を受け入れる準備はできているのでしょうか。また若者の人口が減少している日本にとって、中国人の若者の流入は何かメリットになりますか?

ChatGPT:の回答―とても興味深いテーマですね。この問いは、教育、国際関係、人口動態、文化交流といった多くの視点から考えることができます。それぞれの側面から丁寧に見ていきましょう。/ ① 中国人にとって日本の高校に入学するメリットー1. 競争の緩和と教育環境;中国の受験競争(特に高考)は極めて激しく、子どもに大きなストレスがかかります。日本の高校では、一定の学力を満たせば入学後の競争が相対的に穏やかで、多様な学びが可能です。生徒の個性を重んじる教育スタイルに魅力を感じる親も多いです。/ 2. グローバル進学の足がかり;日本の高校から日本の大学、さらには英語圏の大学への進学ルートを視野に入れる家庭もあります。日本語・英語両方を使えるようになる環境も魅力です。/3. 安全・生活環境の良さ;社会の安定性や治安の良さ、衛生的な生活環境などは、特に子育て世代の外国人にとって大きな魅力です。 /② 日本にとってのメリットー1. 若年層の人口減少対策;若者人口が減少している中、中国をはじめとする外国人学生の受け入れは、教育機関の存続や活性化に寄与します。地方の高校では特に重要な要素で、定員割れ防止や地域の活性化にもつながります。/ 2. 国際化と多様性の促進;多様な文化背景を持つ生徒の存在は、日本人の生徒にとっても貴重な学びの機会になります。グローバル人材育成の観点からも、外国人生徒との交流は今後の教育で重視されるべきです。/ 3. 将来的な人材確保;日本に定着して働くケースもあり、労働力不足対策や経済活動への貢献が期待されます。/ ③ 日本の高校の受け入れ体制は整っているか?1. 現状の課題―日本語指導が必要な生徒に対応できる教員や制度がまだ十分ではない高校も多くあります。生活指導や文化的なサポート体制(例えば宗教・食文化の違いへの配慮)も発展途上です。入学試験や面接に関しても、日本語能力が問われるため、実力があっても門前払いになる可能性も。/ 2. 前向きな動き;一部の私立高校や国際バカロレア認定校などでは、留学生の受け入れを積極的に行っています。国の政策でも「外国人の受け入れ・共生」がキーワードとして強調され始めています。/ 結論として中国人が日本の高校に入ることは、本人にとっても日本社会にとっても 「Win-Win」 となりうる可能性があります。しかし、それを実現するためには:学校側の受け入れ態勢の強化(言語支援、文化理解、多文化共生の教育)国や自治体の制度的なサポート(留学生向け奨学金、滞在手続きの簡素化など)地域社会の理解と受け入れといった要素が欠かせません。

Deep Seekの回答―中国人が日本の高校に入学するメリットは多方面にわたります。まず、中国人学生にとっての利点を挙げると、以下のような点が挙げられます。/ 教育環境の質: 日本の教育制度は高い評価を受けており、特に科学技術や芸術分野での教育は世界的に見ても質が高いと言えます。先進的な教育を受ける機会が得られるため、大学進学やキャリア形成に有利です。/ 日本語の習得: 日本の学校で学ぶことで、日本語を自然に習得することができます。言語スキルは国際的な競争力を高める重要な要素であり、日本語を話せることは、将来的に日本の企業で働く際や国際的な場面でのアドバンテージとなります。/ 国際的な視野の拓展: 日本での生活や学習を通じて、異文化理解や国際的な視点を身につけることができます。この経験は、若者の成長にとって非常に重要です。/ 次に、日本にとっての利点について考えます。/ 多様性の促進: 中国人学生の受け入れにより、日本の教育現場は多様化します。異なるバックグラウンドを持つ学生が共に学ぶことで、相互理解や国際感覚を養うことができます。/ 人口減少の緩和: 日本の若者の人口減少を考慮すると、中国からの学生の受け入れは労働力人口の確保に貢献します。特に、将来的に日本で働く意欲がある中国人学生は、経済活動の継続に役立つ可能性があります。/文化交流の促進: 中国人学生が日本に来ることで、日本と中国の文化交流が進み、相互理解が深まります。これにより、国際関係の強化にも寄与するでしょう。/ 一方で、日本の高校が中国人学生を受け入れる準備は、課題も存在します。学校側は、言語教育や異文化理解のプログラムを充実させる必要があります。また、受け入れ体制や支援体制の整備も重要です。学校や地域社会がこの変化に適応するためには、関連する制度や文化の改変も求められます。/ 総じて、中国人の学生を日本の高校に受け入れることは、個人と国の両方にメリットがあると考えられます。しかし実現にはさまざまな取り組みが必要となります。

千葉市動物公園にサツキの花を見に行く

一昨日(4月22日)、「千葉市動物公園」にひとりで行った。家から自転車で15分。動物を見る為ではなく、そこに咲いているサツキを見る為である。入場料は通常大人800円のところ、千葉市在住の65歳以上の高齢者は無料。サツキの開花は3割程度で、少し早く来過ぎたかと少しがっかり。

それより感じたことは、平日ということもあって入場者は少なく、動物園全体の雰囲気がどんより沈み、動物たちも元気がないことであった。象もだるそうで、ライオンもだらしなく寝そべっていた。これは何が原因しているのかと思った。少し前に行った沖縄の観光地の活気と大違い。動物園を運営する千葉市の意気込みや動物園を運営する職員のセンスのなさからくるものなのであろうか。人口減少が続く中での地方再生が言われながら、財政の問題と共に、担当者の意気込みやセンスの問題もあると感じた。(オーストラリヤに一人旅の上智卒の女性のyou tubeを見ていたら、水族館の入場料が1万円で、日本の水族館と比較し貧弱な内容と報告していた。国の違いや地方の違いが観光地にはあるのかもしれないと思った)

沖縄で土地柄、お国柄を感じる

学生(院生)の頃、小田実が好きで、氏の本を、『何でも見てやろう』はじめよく読んでいた。しかし、ある時、江藤淳の『アメリカと私』(講談社、1969年)を読んで、その中の「『何でも見てやろう』というおりた観察者の姿勢に無理がある」(23頁)という一節にふれ、衝撃を受けた。単純に、「(観光」旅行ではダメなのだ、その地で生活をしなければ」と感じたのであろう。

その認識があったせいか、30年ほど前に、フロリダのディズニーワールドに行った時、いろいろな国から来ている観光客の顔や表情が、出身国にかかわらず皆一様に見えて、観光(旅行)というのは、つまらないものだと感じた。(覚えているのは、たまたま食べに入った処が、ハードロックカフェ―という名前で、ハンバーガーとても大きかったこと、そこの売店でT-シャツを買う人が多く並んでいたことが不思議だったこと。後でそこでしか買えないロゴ入りのT-シャツのあることを知った)

 今回(4月15日~18日)、沖縄に観光旅行に行き(沖縄本島近隣の旅行は5回目)、その逆のことも感じた。レンタカーで沖縄の各地の観光地を回る途中で見る沖縄の自然や家並みや沖縄の人々、そして観光地の造りなどに、本土との違いや沖縄の特質を感じた。首里城公園、おきなわワールド(鍾乳洞)、沖縄美ら海水族館などのスケールも大きく、時間の流れもゆったりしていることを感じた。また観光地はどこも活気があった。

 それともう一つ興味深かったのは、那覇から1時間10分ほどの渡嘉敷島へのフェリーの船旅で、その船室やデッキでの過ごし方に観光客のお国柄が出ていたことである。1日に1便の往復便しかない船の乗客400名余の国別は、見たところ日本人は3割程度で、韓国、中国、台湾、欧米人、メキシコ系、アラブ系などと外国人が7割近くを占めていた。船の外のオープンデッキで、強い風もものともせず海を眺めていたり、陽気に話し込んでいるのは欧米人がほとんどであった。日本人も含めアジア系は、室内の船室(椅子と畳の部屋)で、おとなしく過ごす座るか寝る姿が多かった。渡嘉敷島ブルーと言われる、真っ青な海は綺麗であったが、その水はまだ冷たく、泳ぐには早すぎる感じであった。海に入るのは外国人ばかりであった。観光地の過ごし方というのにもお国柄が出るものだと感じた。(このように今回の沖縄旅行はその土地柄と観光客のお国柄を感じる旅であった。)

香川正弘(上智大学名誉教授)のご逝去の報に接し、心よりご冥福をお祈りする

 大学の職場で、同僚だった先生との関係は、同じ調査や研究を共にしたという研究仲間とは違ってはいるが、懐かしい、かけがえのない関係である。大学の同僚の先生とは、学生の教育や大学の発展のために議論して共に活動した時間がかなりある。時に人事や院生の指導を巡り確執があったりしたが、それらも時と共に水に流れ、懐かしい思い出になっている。

 上智大学に勤務した時に、研究室が隣であった香川正弘教授(生涯教育学)とは、年齢が近いということもあり、お互いに研究室を行き来し、いろいろな話をした思い出が多い。先生は個性的で学識のある方なので、私がいろいろ教わることが多かった。10年ほど前に、定年後広島に帰られた先生のご自宅をお尋ねしたこともある。その後も、何度か交信があり、最近では1年前に電話とメールのやり取りが数度あった。それは主に先生の活動と最近書かれた論稿―「イギリス成人教育史研究をめぐる研究者の絆―宮坂広作教授と E.ウェルチ博士 との交遊の思い出」(UEJジャーナル第33号、2020年4月15日号)」https://www.uejp.jp/pdf/journal/33/h333.pdf」のこと。それを2024年2月25日の私のブログで紹介した。

その香川先生が、今朝、ご病気で亡くなられという知らせが、学科からあった。残念でならない。香川先生のご冥福を心よりお祈りする。

近所の桜の花を楽しむ

今日(4月4日)は、昨日までの雨も明け方にはあがり、久しぶりに良い天気で、家の近所の桜を見て回る。家の前の小学校の桜、近くの児童公園の桜、自転車で15分のところにある用水路沿いの桜、千葉市動物公園裏の水路沿いの桜など、すべてソメイヨシノだが、ほぼ満開に近い桜を鑑賞することができた。平日ということもあって、お花見をしている人はすくない(千葉と東京の違いか? 先週見た東京の千鳥ヶ淵と大違い)いくつかの箇所では、例年より桜の花が少ないようで、これは地球温暖化が影響しているのか、これからの桜の花が少し心配。