文章ー難しいことを易しく

私達、教育学や社会学の研究者は、研究の方法や内容が大事だと思っているので、それを表現する文章や文体に関してあまり関心を払わない。またそれらが大事だと思うこともほとんどない。古典や最新の外国の専門文献に書かれている基本的あるいは最新の分析視点やその成果を直訳して引用し、自分の研究の中核に据えることもよくする。外国文献の言い回しを直訳すると、修飾語がやたらに多くなり、わかりにくい日本語になる。それこそ高度な専門用語による学問的考察だと悦に入ることができる。

私の場合、院生の頃、京大教授の社会学者の作田啓一の文章に惹かれ、何度も読み直し、このような文章を書けないものかと思ったことがある。作田啓一の場合、文学にも造詣が深く(夏目漱石、ドフトエスキーに関する著作もある)、その影響が文章にあらわれている。一般に、文学者の文章は、無駄がなく、いい文章だなと、感じることが多い。

小説家の井上ひさしが述べ、同じく小説家の寂聴もよく引用していたという言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもしろく、おもしろいことをふかく、ふかいことをゆかいに」を、最近の新聞記事(「村木厚子さんに聞く3」朝日新聞11月27日朝刊)より知った。文章を書く際は、心がけたい。

晩秋の花-皇帝ダリヤ

季節により咲く花は違うが、晩秋になると咲く花が俄然少なくなる。秋のコスモスは早々と終わり、菊も11月上旬には終わりを告げ、ホームセンターに行くと冬のシクラメンやラン、クリスマスローズそして来春の花(パンジー、ビオラ)が、並んでいる。来春に備えて、庭用にビオラやチューリップの球根、そしてアグロステンマ、スイトッピーやジキタリスなどの苗を購入し植えているが、それにしても花が少なくさびしい。

そのような中で唯一、今の季節(晩秋)を彩るのが、皇帝ダイアである。春に根(茎?)を植えたものが暑い夏を乗り越えて、寒さを感じる晩秋には、高さ3メートルにもなり、綺麗なピンクの花を咲かせている。数えたら60もの花が、晩秋の空に向かって咲いている。

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