生成AI(Bing Chat & Chat GPT)に、「成長物語」に関して聞く  

質問1 -15少年漂流記は、どのような成長物語ですか? 教育の場で教材として使うことはできますか?

A ChatGPT回答ー『十五少年漂流記』(Deux Ans de Vacances)**は、フランスの作家ジュール・ヴェルヌによって書かれた冒険小説で、無人島に漂着した少年たちが協力して生き延びる姿を描いています。この物語は、成長と自立のプロセスを通じて重要なテーマを探求しており、教育的な観点から見ると、多くの価値を提供することができます。成長物語の要素:協力とリーダーシップ:少年たちは、指導者を選び、それぞれの役割を理解し、困難を乗り越えるために協力し合います。(中略)教育現場での教材としての利点:道徳教育:『十五少年漂流記』は協力、リーダーシップ、自立、責任感など、現代の道徳教育において重要なテーマを探究しています。これらの価値観を生徒に教えるのに適した物語です。異文化理解:ヴェルヌはフランスの作家ですが、物語の設定やキャラクターの多様性は異文化理解の機会を提供します。国際的な視点からの問題解決や社会性も学べるでしょう。問題解決能力の向上:少年たちが無人島で直面する数々の困難は、現代の教育においても重要視される「21世紀型スキル」(批判的思考、創造性、コミュニケーション能力、協力など)を養うのに役立ちます。(以下略)

質問2―蠅の王は、どのような物語ですか? 蠅の王を、教育の場で、教材として扱うことは可能ですか?

Bing チャトの回答―『蠅の王』(原題:Lord of the Flies)は、ウィリアム・ゴールディングによる1954年の小説です。この物語は、飛行機事故で無人島に漂着した少年たちが、文明から切り離された環境でどのように行動するかを描いています。最初は協力し合って生き延びようとしますが、次第に対立が深まり、暴力と混乱が支配するようになります。物語は、人間の本質や社会の脆弱さを鋭く描き出しています。教育の場で『蠅の王』を教材として扱うことは十分に可能です。この小説は、リーダーシップ、倫理、社会構造、そして人間の本質について深く考えさせる内容が含まれており、文学や社会学の授業で非常に有益です。ただし、暴力的な描写も含まれているため、年齢や理解力に応じた適切な指導が必要です。この物語を通じて、学生たちは人間の行動や社会の成り立ちについて深く考える機会を得ることができます。どのようにリーダーシップを発揮するか、倫理的な判断を下すことの重要性、そして社会の中での個人の役割について議論することができます。

Inquiry-based learning に関してチャトGPTに聞く

質問1 Inquiry-based learning を文科省はどのように訳していますか? 

チャトとGPTの回答―文部科学省は「Inquiry-based learning」を「探究学習」と訳しています。探究学習は、課題解決や興味を持ったテーマに対して生徒が主体的に調査・探究し、知識やスキルを深める学習方法です。文部科学省のカリキュラム改革や教育指導要領にも「探究」という用語が使われており、「総合的な探究の時間」などに反映されています。

Question 2: Is John Dewey the person who advocated inquiry-based learning? Please let me know if you know the literature.

チャトGPTの回答―Yes, John Dewey is often regarded as one of the key figures advocating for inquiry-based learning. Dewey’s philosophy of education emphasizes experiential learning, where students engage actively with problems and questions, learn through inquiry, and develop knowledge through interaction with their environment. His works, such as “Democracy and Education” (1916), strongly advocate for an educational system that promotes inquiry, critical thinking, and reflective thought, which laid the foundation for modern inquiry-based learning approaches.

社会階層と大学

<大学の定義についてですが、私の問いの意図は、シュッツ・バーガーの日常性の常識からの問いです。生活者が問う大学の意味の差異に基づく再定義です。同時にデューイのInquiry-based learningは、大学の研究者や知的エリートのためではなく、シカゴという新興巨大都市の混乱の中をしぶとく生きぬく中下層の生活者の日常での経験の世界に根差す知の価値の再評価が問いの淵源・・・と私は理解していますが・・・>(M氏)

これを読んで教えられたことは、(私の視点も含めて)日本の高等教育学会などの議論は、エリートの視点からの視点が優位ではないかということである。それとは別に、労働者階層や大衆の為の大学教育(ないし生涯教育)を考えなければいけないと感じた。さらに大学外で人々が、野の知識人や芸術家から学んでいることも考える必要があると思った。

労働者階層の為の大学教育に関しては、一般の大学でも、正義や社会的平等や機会均等の為の教育、働く人にとって労働法の学びは大切という議論はたくさんある。しかしそれはエリートからの視点ではないかという(自己)検証は常に必要である。

イギリスの生涯学習は、労働者の学びの為であり(2024年8月17日のブログ参照)、大学解放運動などが主になるという香川正弘・上智大学名誉教授の指摘は重要である。また、吉本隆明、藤原新也などは、野(大学外)にあって、多くの文学的・芸術的・思想的な本を出版して、人々に影響を与えてきた。大学で教えた経歴はあるが、それ以上に執筆した本で人々の学びに影響を与えた作家や思想家は、数多くいる(夏目漱石、清水幾太郎、日高六郎、江藤淳、柄谷行人、古井由吉、見田宗介、内田樹など)。

労働者階層の為の大学というのは、あるのだろうか。日本教職員組合の全国大会は、教育労働者の為の学びの場であるが、そこでの教育研究や議論は、一般の教育系の大学の研究や議論をリードしているという話はあまり聞かない。社会階層と教育(や研究)の関係は、なかなか複雑で難しい。