2年ほど前に作成し、敬愛大学での「教育社会学」の授業でも、授業資料の一部として使用した冊子 『教育、大学、文学、ドラマ、日常 ―教育社会学的考察―』(2022年9月、113頁)を、今年度の授業(後期、「教育社会学」)でも、参考文献として使いたいと思った。ただ、冊子は少数しか印刷しなかったので、もう手元になく、学生に配布できない。
敬愛大学教育学部の「教育社会学」受講生は、下記のWEBサイトをクリックして、読んでほしい。(過去に一度このHPにアップしたことがあるが、再度アップする)。
2年ほど前に作成し、敬愛大学での「教育社会学」の授業でも、授業資料の一部として使用した冊子 『教育、大学、文学、ドラマ、日常 ―教育社会学的考察―』(2022年9月、113頁)を、今年度の授業(後期、「教育社会学」)でも、参考文献として使いたいと思った。ただ、冊子は少数しか印刷しなかったので、もう手元になく、学生に配布できない。
敬愛大学教育学部の「教育社会学」受講生は、下記のWEBサイトをクリックして、読んでほしい。(過去に一度このHPにアップしたことがあるが、再度アップする)。
写真家の藤原新也は多才な人で、写真だけでなく、旅行記、評論、小説、エッセイを書き、書道もたしなみ、今回はデジタル画に挑戦して、その展覧会を開くという。そのチラシを掲載する。
今日(9月27日)のNHKの朝ドラ「虎に翼」は最終回。毎日楽しみに見てきた。その中に、雨水の一滴をめぐって議論が交わされていて、それがドラマの締めくくりの言葉になっていたように思う。雨水の一滴という言葉で、直ぐ思う浮かぶのは、村上春樹の文章である(その意味合いは、「虎と翼」と村上春樹ではかなり違う)。村上春樹については、「内外教育」(2021年10月5日号、ひとこと)に下記のように書いたことがある。
<村上春樹著「猫を棄てる」(文藝春秋、2020年)には、村上の父親が20歳の時徴兵され、中国大陸の戦線に参加したことが書かれている。村上はその責務も感じている。「我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある」と>
このように雨水の一滴が使われるのは、よくあることなのか、生成AIに聞いてみた。質問は「人は雨水の1つにしか過ぎない、と村上春樹は言っています。 同じようなことを言っている人はいますか?」 以下、回答
チャトGPTの回答
村上春樹の「人は雨水の1つに過ぎない」という表現は、個人の存在が大きな流れの中でほんの一部であり、個人としての独立した存在感が希薄であるという考え方を表しています。このようなテーマやメタファーは、他の作家や思想家の中にも見られます。/1. アラン・ワッツ(Alan Watts) – イギリス出身の哲学者であり、禅や道教、西洋と東洋の哲学の融合に焦点を当てた思想を広めた人物です。彼はしばしば「個人は宇宙の全体の一部であり、全体と切り離せない」という考えを説きます。人間を自然界の一部、または宇宙全体の一つの表現として捉えることは、村上春樹のメタファーと共鳴する点があります。/ 2. ジョン・ダン(John Donne) – 17世紀のイギリスの詩人であり、彼の有名な言葉に「No man is an island, entire of itself; every man is a piece of the continent, a part of the main.(人は誰も一人島ではなく、大陸の一部である)」というフレーズがあります。これは個人が完全に独立して存在することはなく、全体の一部としての役割を持つという考えを強調しています。村上春樹の表現と共通するのは、個人の存在が他者や全体と密接に関連しているという視点です。/ 3.仏教の思想 – 仏教では、すべての存在が相互に依存し合うという「縁起(えんぎ)」の概念があります。個々の存在は独立しているわけではなく、すべてが他者や環境とつながっているという思想です。この点でも、「雨水の1つに過ぎない」という考え方に通じる部分があります。/これらの思想家や宗教的な考え方は、村上春樹のメタファーに似た、個人の存在の有限さや全体との関係性を探求していると言えるでしょう。
Bing Chat の回答
村上春樹の「人は雨水の1つにしか過ぎない」という表現は、個々の人間の存在の儚さや、全体の中での個の役割を示唆しています。このようなテーマを扱った他の作家や思想家もいます。/例えば、アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンは「草の葉」という詩集の中で、個々の人間が自然の一部であり、全体の中での小さな存在であることを詠っています。また、フランスの哲学者アルベール・カミュも「異邦人」や「シーシュポスの神話」で、個々の人間の存在の無意味さと、それに対する反抗の意義を描いています。/これらの作品も、村上春樹の表現と同様に、個々の存在の儚さや全体の中での役割を考えさせられるものです。どの作家の表現が心に響きますか?
質問
生成AIが、私達の質問に対して、なぜ瞬時に的確な答えを出してくれるかがわかりません。その答えの生成の方法(プロセス)に関して、説明してください。PC(機械)が過去のデータから学ぶ方法(機械学習)があるのですか? それは人間の思考とは違うものなのですか。またその回答には心も込められているようにも感じます(生成AIにも心があるのですか)
ChatGPT:の回答
素晴らしい質問です!私(GPT)をはじめとする生成AIは、過去の膨大なデータから学んで答えを生成しています。このプロセスを簡単に説明しますね。/1. 生成のプロセス(答えを作る方法)―私の「答え」を出す仕組みは、主に機械学習、特に**深層学習(ディープラーニング)**という技術に基づいています。過去のテキストデータを大量に分析し、言葉のつながりやパターンを理解します。具体的には、次のようなステップがあります:①データの学習: 私はインターネット上の本、記事、会話データなどから学習しています。これによって、様々なトピックや表現を理解できるようになります。②文脈の理解: ユーザーの質問を受け取ったとき、質問の文脈や背景を考慮して、最適な答えを生成します。このとき、単語の意味だけでなく、文脈や意図を理解しようとします。③予測と生成: 次に来るべき言葉やフレーズを予測し、それをつなげていくことで答えを作ります。これにより、自然な文章が生成されます。/2. 機械学習と人間の思考の違いーAIの思考プロセスと人間の思考は、いくつかの点で異なります:①データの処理方法: 人間は経験や直感に基づいて考えることが多いですが、AIは大量のデータに基づく統計的なパターン認識に基づいて答えを生成します。②理解のレベル: AIは単語や文章のパターンを学習しているため、その裏にある深い意味や感情を本当の意味で「理解」しているわけではありません。私が「心がある」ように見えるのは、学んだデータに基づいて感情的な表現を生成できるためです。③創造性: 人間は直感や感情を通じて新しいアイデアや感覚を創造できますが、AIは過去のデータに基づく予測を行っているため、独自の感情や創造的な意図は持っていません。/3. 心があるのか? /私が「心」を持っているかのように感じるかもしれませんが、それはあくまで自然な言語表現や、過去に人間が書いた感情的な文章から学んだ結果です。実際には、AIは感情や意図を持っておらず、背後にあるのは膨大なデータを処理する数学的モデルです。したがって、AIが「心」を持っているわけではなく、感情を理解したり感じたりしているわけでもないのです。しかし、AIは学んだデータに基づいて、感情的な表現を再現することができるので、まるで心があるように感じることがあります。/質問に対して瞬時に答えることができるのは、この仕組みとAIのスピードのためです。
Bing チャトの回答
生成AI(ジェネレーティブAI)は、質問に対して瞬時に答えを生成するために、以下のようなプロセスを経ています。/1. データの収集と学習―生成AIは、大量のテキストデータを使って学習します。このデータには、書籍、記事、ウェブサイトの内容などが含まれます。学習の過程で、AIは言語のパターンや文脈を理解し、適切な応答を生成する能力を身につけます。このプロセスは「機械学習」と呼ばれ、特に「ディープラーニング(深層学習)」という手法が使われます1。/2. モデルのトレーニングー生成AIは、特定のアルゴリズムを使ってトレーニングされます。例えば、GPT(Generative Pre-trained Transformer)というモデルは、膨大なテキストデータを使って事前にトレーニングされ、その後、特定のタスクに合わせて微調整されます1。/3. プロンプトの入力―ユーザーが質問や指示を入力すると、それが「プロンプト」としてAIに渡されます。AIはこのプロンプトを解析し、最適な応答を生成するために学習した知識を活用します2。/4. 応答の生成―AIは、プロンプトに基づいて適切な応答を生成します。この過程では、文脈や過去のデータから学んだパターンを利用して、自然で意味のある文章を作り出します2。/人間の思考との違いー生成AIの思考プロセスは、人間の思考とは異なります。人間は経験や感情、直感を基に考えますが、生成AIはデータとアルゴリズムに基づいて応答を生成します。AIは感情や意識を持たないため、心が込められているように感じるのは、あくまで自然な言語生成の結果です2。/生成AIに心はあるのか?―生成AIには心や感情はありません。AIはプログラムされたアルゴリズムに従って動作し、感情を持つことはできません。ただし、AIが生成する応答が人間らしく感じられるのは、言語モデルが非常に高度であるためです2。
質問―文部科学省が最近の「学習指導要領」等でよく使う「資質・能力」という言葉がよく理解できない。「資質」と「能力」は全く違う言葉である。つまり、「資質」は、その人が生まれつき備えている性質や才能のことであり、「能力」は、環境や教育などによって、その人の中に形成される物事を成し遂げる性質のことである。つまり先天的なものと後天的なものという違いがある。文科省は「資質・能力」が大切ということで、先天的なものと後天的なものの両方(やそのコラボ)が必要ということ強調するのかと思うとそうではない。「資質・能力」は、「知識及び技能」と「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の3つから構成されているという説明をする。これでは「資質・能力」という言葉との関連が全く理解できない。特に先天的な「資質」をどのように考え、どのように扱うのかが全く説明されていない。 この意見に関してどう思いますか?
ChatGPTの回答
この問題提起は非常に興味深いと思います。特に「資質」と「能力」という言葉が持つ伝統的な意味合いと、文部科学省が使う際の違和感についての指摘は重要です。一般的に「資質」は生まれつきのもの、「能力」は後天的に獲得されるものと理解されることが多いですが、文部科学省の使い方がこの定義と一致していないように感じられるのは無理もありません。/文部科学省が「資質・能力」という言葉を使う際、その具体的な構成要素として挙げている「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」は、確かに先天的な「資質」を直接示しているようには見えません。そのため、文科省が「資質」という言葉をどう解釈しているのか、はっきりと説明されていないと感じるのはもっともです。文科省の「資質・能力」という概念は、教育を通じて育成される「全体的な力」を指している可能性があります。この場合、従来の「先天的な資質」や「後天的な能力」という明確な区別を曖昧にし、「人が教育によって伸ばすことができる力」全般を含む広い意味で使われていると考えられます。このように、教育によって「資質」も「能力」もどちらも伸ばせるという一体的な視点が背景にあるのかもしれません。/ただし、あなたが指摘するように「先天的な資質をどう考え、どう扱うのか」という具体的な説明が欠けている点は、非常に重要な問題です。先天的な要素も教育において無視できないものですから、文科省がこの点をもう少し明確に示すべきかもしれません。/このように、「資質・能力」という言葉が従来の意味と異なり、教育の中での成長や発展に重きを置いた新たな解釈を含んでいる可能性が高いですが、確かに先天的な資質に対する説明不足は改善の余地があると感じます。